第1章 発覚! 隠れ肉食系(001)

「え? 今、なんて?」
 目の前の人の発言に耳を疑った。だって、こんなことを誰が予想できただろう。
「“結婚したい”と言ったんだよ」
「誰と?」
「もちろん、亜矢(あや)ちゃんと」
 そう言って、まっすぐ見つめてくる彼の瞳は真剣。とても冗談とは思えない。おまけにいつも以上にフェロモンを大量生産中らしくて、男の人のくせに眩暈がしてしまうくらいに色っぽい。
「でも、私たち、お付き合いをしていませんよね?」
 そうなのだ。この人と私はただのお友達関係。一年ほど前からふたりでお酒を飲んだり、ごはんを食べに行ったりすることはあったけど、告白すらされていない。
 それなのに、いきなりプロポーズされても困るんですけど。その前にですね、私、あなたの気持ちを今日、初めて知りました。
 世良(せら)さん、どうして私なんですか? だって、あなたは女性に不自由なんてしていないはずでしょう?


 ***


 私が世良さんと初めて会ったのは今から六年前。短大卒業後に就職した『高嶋建設株式会社』だった。会社設立から五十年近くの中堅の建築会社で、私はそこの受付嬢だった。世良さんもその会社の社員。要するに同じ会社だった。
【世良文哉(せらふみや)】【所属:営業本部設計課】【ハイスペックで将来有望】【独身】【一人暮らし】【彼女ナシ】【女性は基本、来るものは拒まずで、年上・年下なんでもOK】
 当時から世良さんは社内で大人気。入社間もない私のもとにも、そんな情報が入ってきていた。不思議なことに世良さんはずっと特定の彼女がいないらしく、フリーの女性社員はもちろん、既婚者の人も彼を狙っていたとか、いないとか。
 そんな世良さんは毎朝『おはよう』と、新人の私にも必ず声をかけてくれた。もちろん、私だけではなくて周囲の人にそうしていたわけだけど。そんなところも世良さんの評判が高い理由だった。
 誰にでもわけ隔てなく注ぐ彼のやさしさは、人を惑わすほどの威力がある。それに加えて仕事にも真面目に取り組む人だから、上司の受けも良くて会社からも信頼されている。世良さんを悪く言う人を聞いたことがない。それくらい人望も厚くて、同僚や後輩からも慕われていた。
 だけど、私は世良さんに恋をすることはなかった。素敵な人だとは思っていたけど、当時の私にはお付き合いしている彼がいたので、遠くから目の保養として眺めているだけで満足だった。

 それから四年後、私は今の会社、春山デザイン事務所に転職した。働きはじめて一年八カ月になる。
 デザイン会社と言ってもいろいろあるけど春山デザイン事務所は照明デザインの会社。
 クリスマスイルミネーションのような華やかなデザインもあれば、オフィスや商業施設、住宅のデザインもする。
 例えば、オフィスのライティングテクニックは、照明器具の数を減らしても、配置の仕方や照明の当て方を工夫することによって明るさを保つことができる。なおかつ、最適な明るさは仕事のストレスの軽減をもたらす。ライティングデザイナーが提供するオフィス空間は、そういったことまでをしっかりと計算しており、結果的に仕事の効率を上げ、電気代の節約にもなるのだ。

 私は春山デザイン事務所で経理を含めた一般事務の仕事をしている。
 代表が母方の叔母の元旦那さんという、ちょっと複雑な縁で雇ってもらった。あまり言いたくないけど、誰の目にも明らかな縁故採用である。

 世良さんとは、仕事の関係で再会した。転職して間もない頃、偶然にも高嶋建設からクリスマスイルミネーションの仕事を請け負うことになり、打ち合わせのために世良さんがうちの事務所に来たことがきっかけだった。
『あれ?』
『お久しぶりです。世良課長が担当されることになったんですね』
『うん。うちは大掛かりなライティングの事例がほとんどないものだから。まずは僕が手探りでやることになったんだ。それより、大久保さん、ここで働いていたんだね』
『はい。親戚の人の紹介で入社しました』
『そうだったんだ。また会えてうれしいよ』


 ***


 最初は事務所の中で軽く会話をする程度だった。だけど、ある日、世良さんに飲みに誘われて、それ以来、たまに食事をする関係になる。
 けれど、それだけの関係。変わったことと言えば、名前の呼び方が『大久保さん』から『亜矢ちゃん』になったことくらい。実際、頻繁に会っていたわけでも連絡を取り合っていたわけでもないので、お友達というのも微妙なくらい。
 だから、突然、プロポーズをされて混乱してしまう。付き合っていないのに、どういうつもりなのだろうと、普通、なるでしょう。
「世良さん、まさかとは思うんですけど……」
 赤ワインでほろ酔い気分だけど意識はしっかりと保っている。私はできるだけ動揺していることを悟られないように冷静を装った。
「……プロポーズの相手を間違えていません?」
 だって、そんな、めっそうもない。この私がこんな素敵な男性に結婚したいと思われるわけがない。からかわれているだけだ。いや、もしかすると予行練習なのかもしれない。他の人にプロポーズしようとしていて、今日は私を実験台にして模擬プロポーズとか?
「まさか。いくらなんでも、そんな間違いはしないよ」
 けれど、世良さんは澄ました顔でそう言った。つまり、本当に私と結婚したいと思ってくれているの?
「だって、今まで一度もそんな雰囲気になったことないじゃないですか」
「亜矢ちゃんはかなり鈍感だよね。僕がいくらアプローチしても、ぜんぜん気づいてくれないんだもん」


 
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