第1章 発覚! 隠れ肉食系(002)

 今日は私の誕生日。いつもは庶民的なお店だけど、今日は特別な日だからとホテルのレストランに連れて来てもらっていた。
 そう言えば世良さんと初めて飲みに行った一年前の日も私の誕生日だったということを思い出し、改めてこの一年を振り返る。
 月に一度は食事に誘われていた。映画を観に行ったこともある。美術館や水族館にも行った。
 ん、あれ? それってデートだったの? 今も、デート中なの?
 ……あ。
 私って、とんでもなく馬鹿な女だ。今まで、のほほんとごはんをごちそうになって、気軽におうちまで車で送ってもらっていた。
 私の馬鹿! 気づきなさいよ! 自分のあまりの鈍感さに閉口してしまう。
「ようやく納得してくれた?」
 世良さんは、黙り込んでいる私の思考回路をしっかりと読み取っているかのように尋ねた。
「はあ……言われてみれば、ですが」
「それなら、これ、受け取ってくれる?」
 差し出されたのは、薄いブルーの小さな箱。このブランド、知ってる。それは世界的に有名で高級。多くの女の子が憧れているブランドだ。
 ちょっと待ってよ。それってもしかして、婚約指輪? その前に『それなら』って何? 何をどう考えると、そう結びつくのですか?
「そんなものまで準備しているなんて」
 なんだか申し訳なく思ってしまう。いったい、いくらしたのだろう。うわっ、こんなときに諭吉の顔が浮かんでくる私って……
「サイズがわからなくて困ったよ。もし合わなかったら、あとで一緒にお店に行こうね」
 そう言って世良さんがニッコリと私を見るので、思わず頷いちゃいそうになるけど。
「ム、ムリですから! 私、結婚なんて考えられません。世良さんはとても尊敬できる方です。でも、それ以上の感情はないんです」

 こんな私でも今日で二十七歳。過去に結婚を考える人はいた。むしろ、結婚願望は強いくらいだった。
 けれど今は違う。結婚も男性とのお付き合いも考えられない。ぶっちゃけ、もう、こりごりなのだ!
「そう言うと思ったよ。亜矢ちゃんが僕に気がないことはわかってる」
「だったら、いきなりプロポーズするのはやめて下さい」
「でも、こうでもしないと、僕のことを男として意識してくれないだろう?」
「物事には順番があります」
「僕もそう思うよ。だけど正当な方法で口説いていたら、亜矢ちゃんは僕を前の男と比べて、結局は僕から離れてしまっていたはずだ」
「違うかい?」と世良さんは私に微笑みかけた。私はワイングラスを握ったまま、そのきれいな顔に見とれてしまっていた。
 けれど、ダメダメ! 私は目の前で浴びせられるイイオトコ光線をなんとか振り払う。
「世良さん、私はあなたに思われるような魅力のある人間ではありません」
 世良さんはいつも余裕綽々(しゃくしゃく)。責任ある大きな仕事をしているのに、悩みや忙しさをおくびにも出さない。
 そもそも、彼の口から人の悪口や愚痴を聞いたことがなくて、怒った姿も見たことがない。それほどまでに完璧な人。
現に今だって、おいしそうにお肉を頬張りながら優雅に振舞っている。私がこんなに失礼なことを言っているのに相変わらず笑顔を絶やさずに、深く相槌を打ちながら私の話にじっくりと耳を傾けていた。
「そんなことないよ。僕は亜矢ちゃんからたくさんの元気をもらったよ」
「世良さん……」
「会うたびに惹かれていく。そんな女性は初めてだよ」
 その言葉に泣きたくなるほど感動した。世良さんの声は品があって穏やかで、それだけで癒される。刺々しい私の心をふんわりと包み込んでくれるようなあたたかさは、今日に限ったことではない。
「ありがとうございます。ですけど──」
「待って。それ以上は言わなくていい」
「でも……」
「覚悟していたとは言え、一日に何度も聞かせられると気力も体力も奪われるからね。今日はそれくらいにしておいて」
 世良さんの白い歯が覗く。さわやか過ぎて、かえって胡散臭い気もしないでもないけど、知り合ってそれなりに長いので、そこに嘘はないことはわかる。世良さんは本気だ。
「だったら、私はどうしたらいいんでしょう?」
「亜矢ちゃんは今まで通りでいいよ。ただ、少し時間をくれないか? 必ずその気にさせるから」
 なんとも軽い口調に肩の力が抜けてしまう。私は気を取り直すために赤ワインをひとくち口に含んだ。口の中で芳醇な香りが開き、葡萄の味わいが広がる。

 それにしても今日のワインもとてもおいしい。もともとワインを飲むことがなかった私にワインのおいしさを教えてくれたのは世良さんだった。それくらいよくしてもらっていたのに、その関係が壊れてしまうことは私だって嫌だ。
 だけど言わなくてはならない。こんなことになって私も困っているけど、それよりも世良さんだ。世良さんは三十六歳。結婚願望があるのなら、こんなところで足踏みしている場合ではないのだ。
「時間の無駄です」
 ちょっと冷たい言い方かなと思いながらも、きっぱりと言った。
「きびしいね」
「思いやりのつもりで言っているんです」
「そうなんだ。でも、それって逆効果だから。それこそ男の闘争本能をかき立てていることに気づいてる?」
 そう言って、ゆっくりと瞬きをする世良さんは魅惑的。瞳の奥がギラリと光って、息をすることを忘れてしまいそうになる。
「世良さんって──」
「ん?」
「肉食系でしたっけ?」
「知らなかった?」
「……はい、ちっとも」
「ごめんね。実はそうなんだよ」
 どこまでも明るく朗らかな世良さん。ここまでポジティブな態度でいられると、プロポーズを断った罪悪感が薄れていく。
「そのワザ。反則です」
「亜矢ちゃんをお嫁さんにするためだったら、なんだってする。覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」
 でも、きっとそれが世良さんのやさしさなのだろう。私が過去に受けた恋愛の苦しみを理解してくれる彼だからこそ、そうやって半ば強引に、そしてゆっくりと溶かそうとしてくれる。
 だけど、いまだに引きずっている私の後遺症は、いくら世良さんでも治すことはできないよ。私を心から愛してくれる人なんて存在しないと実感した二年前のあの日に、二度と恋はしないと決めたの。


 
 
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