第3章 ときめきの瞬間(005)

 それからというもの、前にも増して世良さんからのお誘いが増えた。でも大丈夫なのかな。忙しい世良さんだから、きっと無理をしているに違いない。
 私と会う時間があるのなら、できれば自宅で体を休めてほしい。だけど、そう思う反面、誘いを断ることで世良さんに嫌な思いをさせたくないと思ってしまい、こうして会いに来てしまう。

「プラネタリウム建設のお仕事は順調ですか?」
 日曜日の今日はドライブをしようということになった。お天気はいいとは言えないけど、雨はなんとかまぬがれそうだ。
「順調だよ。完成が楽しみだよね。春山社長のライティングデザインも素晴らしいから、きっと話題になるよ」
「あんな人なのに繊細な世界を生み出せるんですから、なんだか信じられません」
「亜矢ちゃん、毒舌だなあ。でもライティングデザイン会社として経営できる人はほんのひと握りなんだ。春山社長はすごい人だよ」

 就職するまで知らなかったけど、春山社長は業界ではかなり有名な人。いくつかのコンテストで賞をもらっているし、テレビや雑誌の取材依頼もたまにある。
 少し前までは新聞にコラムを寄稿していて、その新聞社の子会社である出版社からはムックの話もあるみたい。今は仕事が忙しいので見送っているらしいけど、そうなったら私もうれしい。
 私は光に魅了された人々の笑顔に触れて、仕事の楽しさを知った。直接的に関わっているわけではないけど、誇りに思える。行き先を見失っていた私を導いてくれたのも、光の輝きだった。

 ドライブの目的地はベイエリアにあるアウトレットモール。どこに行きたいかと尋ねられて思いついたのがそこだった。
 実はそのアウトレットモールは、うちの事務所でイルミネーションの仕事をさせてもらったところ。担当はうちの事務所の中でもひと際感性豊かな若い男性社員。春山社長も彼の才能に惚れ込んでいて、一度見ておくといいと夜に連れて来てもらったことがある。
 そんなワケで夜に見学に来たことはあったのだけれど、ショッピングをしたことがなかった。

 夜とは違う雰囲気のアウトレットモール。異国を思わせるオシャレな外観は心をウキウキさせる。世良さんも職業柄、興味津々に建物を見渡していて、楽しそうに目を輝かせていた。
 その後、ショッピングとなったのだけど……
「今度はどうですか? 私は気に入ったんですけど」
 世良さんの着せ替え人形になった私。お店に入るたびに試着させられている。いったい、これで何着目だろう。
「うーん。それだと丈が長すぎる」
 無難に涼しげな白のマキシ丈ワンピを選んだのに、世良さんは腕組をしながら渋い顔をしている。
 だけど文句は言えない。誕生日に婚約指輪を受け取らなかった私への誕生日プレゼントということで、決定権は世良さんにある。
「あまり露出が多いのは困ります」
「ダメだよ。もうすぐ夏なんだから。ということで、マキシ丈は却下」
 これも、かなり夏っぽいと思うんだけどなあ。色もデザインも夏用のワンピなんだけど。
「人様に見せるほどではない脚なので、できるだけ隠させて下さい」
「きれいだから、もっと見せてよ。その代わり、僕と一緒のときだけだよ」
 今日、買ってもらう予定の服は、世良さんと会うとき限定らしい。ニコニコ顔して独占欲は忘れない。
「わかりました。ひざ丈までなら妥協します。それ以上は断固お断りですからね」
 私はもう一度、フィッティングルームに戻るとワンピを脱いだ。するとコンコンとドアをノックする音。
「亜矢ちゃん。これなんてどう?」
 世良さんの声に自分の服を着てドアを静かに開けると、その手にはネイビーのワンピ。
「サイズはさっきのと同じだから、大丈夫だと思う」
「いい感じですね。着てみますね」
 あの口ぶりから、露出高めのものかと思っていたら、意外にも清楚系だった。ひざ丈スカートのパフスリーブのワンピ。ウエスト部分に革製の白い紐ベルトがついていて、上品で涼しげ。世良さん、こういうのが趣味なんだ。
 鏡の前で全身チェックを終え、ちょっとだけ恥ずかしさが芽生えた。似合うかな? そう思いながら恐る恐るフィッティングルームのドアを開けた。

「どうでしょう?」
 すると世良さんは、私を見るなり満面の笑み。
「思った通りだ。よく似合うよ」
「ほんとですか?」
「うん。色っぽい」
「え? 色っぽい……?」
「亜矢ちゃん、結構、スタイルいいんだね」
 今着ているワンピは、スカートはフレアラインで胸元には控えめにドレープが入っている。けど、さっきのコットン生地のマキシ丈ワンピと違って、ジャージ素材だから身体のラインが強調されてしまう。
「み、み、見ないで下さいっ!」
 思わず胸のあたりを両手で隠した。
「そういうつもりで言ったんじゃないよ」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
 そういうのをセクハラと言うんですよ!
「えっと……ただ、バランスがいいと言いたかったんだよ。ほどよい肉付きっていうか……」
 ああ、もう、フォローになってなーい!
 最近、世良さんのイメージがどんどん崩れてしまっている。前はもっと紳士な人だと思っていたけど、だんだん無邪気な面が強くなっていく。彼を知れば知るほど不思議な人だと思った。
「それ以上、言わないで下さい。ほめられている気がしません」
「ええ!? なんで? 僕は亜矢ちゃんのすべてが好きだよ。ほめているつもりなんだけどなあ」
 情けなく顔を歪め、美形な顔が台無し。そんな、どこまでもマイペースな世良さんを見ていると、怒る気も失せるというもので。頭をポリポリかいている姿を前に、いつの間にか笑っている私がいた。
「もういいです。悪気がないのはわかってますから」
「ははっ……もちろん悪気なんてないよ。まあ、何はともあれ、機嫌が直ってよかった。亜矢ちゃんの笑顔は僕のサプリメントだからね」
 照れもせず、その声は甘い。
「プレゼントは、これをお願いします」
 その声を聞いてしまうと、それでいいと思ってしまう。
「いいの?」
「このワンピ、可愛いので」
「なら、今年の夏はそのワンピを着てデートしようね」
「その言い方、軽いです。ナンパされてるみたいです」
「イジワル言わないでよ。やっぱり、さっきの、まだ怒ってる?」
「怒ってません!」

 こうして、ようやくワンピを一着買うことができた。世良さんの満足気な顔を横目に、もう少し痩せなきゃとプレッシャーを感じながら、それでも悪い気はしない。
 今年の夏も世良さんと一緒に過ごすのかな?
 去年もそうだった。一番の思い出はビアガーデンに行ったこと。そこで私はベロンベロンに酔っ払った。そして、情けないことにそのときの記憶があまりない。
 タクシーに乗せられたところまでは覚えているけど、気づくとベッドの中で、遮光カーテンの隙間から零れる朝日に世良さんの気遣いが見えた。
 もちろん、服はちゃんと着ていた。私は安心して遮光カーテンを開けると、テーブルの上にある紙きれを見付けた。それは世良さんの手帳の切れ端で、そこには【鍵は玄関ポストに入れておくね】と、きれいな字が綴ってあった。
 そんな、とてつもなく恥ずかしい思い出が残っている。

 お昼ごはんを食べたあとは、アウトレットモールをあとにして、近くの大型家具屋さんへ。
 お店の中を歩きながら、世良さんはキョロキョロとしている。何かを探しているようだった。
「ほしいものがあるんですか?」
「まあね」
 このお店はアウトレットとは違い、お値段もそれなり。何を買おうとしているのだろう。世良さんのお部屋に行ったことがないので、世良さんのお部屋に何が足りないのか、どんな趣味なのか、さっぱりわからなかった。
「あった、あった」
 世良さんは目的のものを見つけたらしく「こっちだよ」と私をうながす。
 あっ、手……そのとき、ふわっと覆われた私の手。すぐにしっかりと握り直された。
 世良さんはこういうの、慣れているのかな?
 私だって男の人と手をつなぐことは初めてじゃない。けれど恋人でない男の人とつなぐのは初めてで、どういうリアクションをしたらいいのか困ってしまう。でも私の動揺をよそに、世良さんは特に意識していない様子で、いつも通りの澄ました顔だった。
「どれがいいと思う?」
 そして、ベッドの前で立ち止まると、手をつないだまま私の方を向いた。

 目の前に飛び込んできた大きなベッド。さすがに今日は買わないだろうけど、かなり本格的な家具選びにちょっとびっくり。
「どれと言われても……世良さんのお部屋のものですからご自分で選ばれるのがいいと思います」
 それにどんな寝室なのかも知らない。だからと言って、それを質問すると本格的にベッド選びをしないといけなくなってしまいそうだ。
「そう言うと思った。でも参考までに教えてよ」
「そんなこと言われても、こういうのは詳しくないですし、私にはアドバイスはちょっと無理かなと」
 私の部屋のベッドはシングルの安いパイプベッド。独り身だから、買い替えることすら考えたことがなかった。
「そうだよね。めったに買うものじゃないからね。でも結婚したら買い替える予定だから、先に希望を聞いておこうと思ったんだよ」
 まじめな顔してとんでもない発言をする世良さん。
「……そっかあ。なら、ベッドはまたの機会にしようか」
 さらに、さらりと独り言まで言ってくれるけど、私は深い意味を考えてしまって顔を上げることができない。
「……そうですね。もしあれば、ですが」
 ──と言いつつ思うことは、将来、ふたりで使うベッドを選ぶなんて気が早いですよということなのだけど……
「セミダブル? いや、やっぱりダブルの方がいいよね」
 だけど、世良さんは止まることなく我が道を行く。
「ねえ、亜矢ちゃんは、どっち?」
 そして、私はそんな彼に逆らえない。
「えっと、ダブルでしょうか。大は小を兼ねると言いますから」
「なるほどね。ダブルだと、子供が小さいときは川の字で一緒に寝られるかもしれないよね」
 世良さんの頭の中は結婚を通り越して、子育てにまで発展しているようだった。私、世良さんとまだ、そういうコトをしていないのに……
「よし! だいたい想像ついたぞ」
「変な想像はやめて下さい」
「してないよ。亜矢ちゃんにそっくりな女の子だったら、可愛いなあと思っていただけだよ」
 ええっ!? 私似の女の子だなんて、そんなとんでもない!
「いいえ。世良さんに似た方が可愛いですっ!」
「僕よりも亜矢ちゃん似の女の子がほしいんだ。もちろん、男の子でもぜんぜんオッケイだけどね。でも理想は両方なんだよなあ。けど、こればかりはどうだろう。ね?」
 世良さんの妄想は止まらない。『ね?』と言われても知りませんから。
「子供の話はさすがに飛躍し過ぎです。悪いんですけど、今のところ、そこまで考えられませんっ」
「そ、そうだね。考え出すと止まらなくて……」
 けれど小さな男の子みたいにシュンとされて「ごめんね」と小さな声で謝られ、私もキツイ言い方だったかなと反省。
「いいえ。私の方こそ、ごめんなさい」
 世良さんには不思議な魅力がある。他の男の人がここまでだと、ただの変態だけど、世良さんだと許せちゃう。
 その魅力でどれだけの人を虜にしてきたのだろう。世良さんに恋した、たくさんの女の子たち。彼女たちの気持ちが少しだけわかるような気がした。
「世良さんのお部屋は、きれいなんでしょうね」
「どうだろう。汚くはないと思うけど。今度、確認がてら遊びに来てみる?」
「お茶飲みなら」
「いいねえ。のんびりと部屋でお茶飲むのも楽しそうだな」

 その日はベッド以外にも、ダイニングセットやカーペット、それから食器棚まで見てまわった。
 つながれた手はそのままで「あの」と言うと「バレたか」とにっこりと笑い、さらに強くギュッと握られた。
「お願い、これくらいは許して」
 とどめに、そんなふうに言われて拒むことなんてできなかった。その手は男の人らしく大きいけど、意外にしなやかで心地よい。前にこっそり想像していた通りの手の平だった。
「ん? なに?」
「世良さんの手、やわらかいですね」
「亜矢ちゃんの手の方がやわらかいよ。女の子って感じ。悔しいから言わなかったけど、これでもかなり緊張してるよ」
 ……え?
 そうは見えなかった。いつも通りの朗らかな雰囲気で、私だけが世良さんのひとつひとつの言動に敏感に反応していると思っていたのに。
「内緒だよ」
「言う相手なんていません」
「いやいや。春山社長はかなり鋭いからね」
「確かに。おまけに地獄耳なので、くれぐれも気をつけて下さいね」
「うん、わかった」
 こんなとぼけた人だけど、なにげない仕草にも自身の想いを込めてくる。こうやって、さっきよりも握る手の力を強めて私の意識を刺激してくる。
 だけどなぜだろう。半ば強引に手を引かれても悪い気はしなかった。最初こそ世良さんに連れ回されている感じだった。けれど、そのうち私もその気になってきて未来の結婚生活の部屋を想像しながら楽しんでいた。
 正直、まだ結婚というものを現実的に捉えられないけれど、昔の私みたいに夢見ることはできるようになっていた。


 
 
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