第5章 魅力全開、最強王子様(011)
その後、世良さんがうちの両親を自宅に招待してくれた。そして結局、私が懸念していたことも、あっさりとバレてしまった。
世良さんは最初からすべてをカミングアウトするつもりだったらしい。私が世良さんの家に泊まっていることに対して、両親の許可をもらおうとしていたのだ。
たった三日間だけのことなのに。黙っていたらわからなかったことだよ。
「いやいや。君には驚かされてばかりだよ、世良さん」
私が世良さんの家にお世話になっていると知った父の驚きはかなりのものだったが、相手が世良さんなので文句はないらしい。母も同じみたいだった。
「本当のことが聞けて、とっても安心したわ」
母が紅茶のカップをダイニングテーブルの上のソーサーに置いて言う。
「お父さんも心配していたのよ。亜矢は前の会社の同期の女の子の家に泊まると言っていたけど、本当は違うんじゃないかって」
「ははっ……お母さんだけじゃなくてお父さんも怪しんでいたんだ……」
たぶん同期の子が既婚者だということを覚えていたんだ。前に実家に帰ったときに、周りの人の結婚状況をチクチクと聞かれたんだよね。
「でも、お相手が世良さんなら、お母さんは賛成よ。お父さんもそうよね?」
隣の父に尋ねる母。
「そうだな。どこの馬の骨か知れない奴に比べたら百倍信頼できるな。高嶋建設さんの課長さんなら、なおさらだ」
「そうそう。同じ職場だったなんてね。知り合って丸六年でしょう。不安要素なんてこれっぽっちもないわよ」
「ただ、あれだな。結婚式に大きなお腹にはならないようにだな……まあ、そのあたりの常識だけは守ってくれれば、お父さんは何も言うことはないよ」
きゃあ! お父さんったら、何言ってるのよ! 世良さんを目の前にそんな助言、やめてよ!
「お父さん!」
部屋中に響く大きな声。でも、その声は私のものではない。
「安心して下さい。寝室はもちろん別々ですから」
……世良さんだった。
「つまり、娘には手を出していないということですか?」
「はい。指一本……あ、いや、手は二週間前に握ってしまいました。それから、昨日も抱きついてしまいましたけど、それは春山社長もいらっしゃいましたし、お父さんが心配されているようなことはしていません」
世良さんが珍しく力説している。私はポカンとしながら、その様子を見ていた。
「世良さん、別に亜矢に手を出しちゃってもいいのよ」
父に続いて母までが変なことを口走る。
「むしろ、どんどん迫ってその気にしてやってちょうだい。じゃないと、この子、いつまでたっても結婚どころか恋愛もできないと思うの」
まったく。お母さんたら、好き勝手なことを言ってくれちゃうんだから。
「世良さんはそういう人じゃないの。下品なこと言わないでよ。それに結婚も恋愛も焦りたくないの。ゆっくり考えさせて」
「そんなことを言ってると、世良さんに逃げられちゃうわよ。本当はお母さんがお付き合いしたいくらいなんだから、亜矢が結論を急がないとお母さんがとっちゃうわよ」
母はよほど世良さんを気に入ったらしく、こっちが恥ずかしくなるようなセリフをポンポン言う。必死過ぎて世良さんに引かれやしないか、気が気じゃない。
「大丈夫ですよ、お母さん。僕は逃げません。その点はご安心下さい」
はあ、どうしてこんなことになったのだろう。なんて考えるまでもなく、隣で優雅に紅茶を飲んでいる世良さんが“プロポーズしました”宣言をするからだ。
でも、これが私が望んでいた形なのだろうか。両親への挨拶とプロポーズという揺るぎない事実。それは約束よりも重い責任が伴う。シンくんとハヤトでは叶えられなかった状況。あの頃の私は、確かにこんな日を夢見ていた。
「本当にこんな娘でいいんですか?」
父がまっすぐに世良さんを見据える。さっきまでのふざけた雰囲気がガラリと変わり、真剣な父の顔に場の空気が張りつめた。
「亜矢さんじゃないとダメなんです。先程、お父さんが僕に言って下さった言葉をそのままお返しします。亜矢さんは、僕にはもったいないくらいの女性だと思っています」
その言葉に父は黙って頷いた。
私も、その言葉を厳粛に受け止めていた。逃げないで本気で考えないといけない。私の世良さんに対する想い。果たしてその想いが結婚に結びつくのか、まだわからないけど、初めて本気で向き合おうと思ったような気がする。
***
その後、頼んでいた出前のお寿司が届き、遅い昼食を頂いた。食事のあと、私たち親子は世良さんのアパートをあとにする。本当はその日の晩ごはんは私が作る約束だったのに、世良さんが「親子水入らずで過ごしておいで」と言って、私を送り出してくれた。
帰るときに電話をする約束し、向かう先は父の希望の浅草。二十代前半まで東京にいたのに「今さらじゃない?」と言ったら「ベタな観光がしてみたかったんだよ」という答え。
そして浅草観光のあとは東京スカイツリーもしっかりと見学。展望台には行けなかったけど、久しぶりに両親との時間を満喫することができた。
前の会社を辞めて以来、なんとなく気が引けて実家に帰っていなかった。両親に会うのは実に二年ぶりだったのだ。
「ちょっと、ごめん」
「世良さんがお迎えに来てくれるの?」
晩ごはんのあと、両親が宿泊するホテルの一階のティーラウンジでお茶を飲んでいたとき。電話をしようとスマホを持って立ち上がった私に母が尋ねた。
「うん。帰る頃になったら電話をしなさいって言われたの」
「やさしい人ね。亜矢のことを心から大事にしてくれていることが伝わってくるわ」
ホテルのロビーに移動して世良さんに電話をすると『すぐに迎えに行くよ』という返事。
「ゆっくりでいいですよ」
『いや、すぐに行けるから。ロビーで待っていて。着いたら電話するよ』
世良さんのアパートからホテルまで、急いでも車で二十分はかかる。すぐにここに到着するような言い方だったけど、どういうことだろう。そう思いながらラウンジに戻ると、さっそく世良さんから電話があった。電話に出ると『正面玄関にいるよ』という返事。
「随分と早いな」
父が腕時計を確認した。
「近くまで来ていたみたい」
「彼のことだから、この辺をうろうろしていたんじゃないか?」
「そうなのかな」
私が首を傾げると、母が「そうに決まってるわ」と楽しそうに笑った。
「どこまで心配症なんだろう」
結局、世良さんを一日、振りまわしてしまった。仕事も途中で切り上げさせてしまったし、本当に申し訳ない。
「亜矢、あなたは愛されているのよ」
「それは、わかってるよ」
「お母さんはね、お父さんと結婚して、あなたを産んでとても幸せなの。つまりね、お父さんもお母さんも、あなたが幸せならそれでいいの」
「私、ちゃんと幸せだよ」
「ええ。今のあなたは生き生きしている。世良さんのおかげなのかな?」
「お母さん……」
お母さんには、わかるの? 私が見つけられない私の本音が見えるの? 世良さんを信じたら、私は今度こそ幸せを掴むことができるのかな?
***
「世良さん、今日はいろいろとありがとうございました」
アパートへ帰る途中の車の中でお礼を言うと、街の明かりに照らされた世良さんが、かすかに笑みを浮かべる。
「ご両親、喜んでいたでしょう?」
「だといいんですけど」
「一人娘なんだし、ずっと会いたかったんじゃないかな」
「きっかけがきっかけですけど、私は会えてよかったです。なんとなく親に合わせる顔がなかったので」
ハヤトの結婚がショックで会社を辞めてしまった私は、さすがに子供過ぎる。
それだけでない。私の心は荒み続け、かつての同期の女の子たちが結婚して幸せそうに過ごしていることを心のどこかで妬んでいた。自分がみじめに思えて情けなかった。
そんな私が清々しい気持ちで両親と過ごせたのは世良さんのおかげ。太陽のように燦々(さんさん)と輝く世良さんの笑顔を見るたびに、私の中に潜んでいた闇のエリアが狭まっていくようだった。
「世良さん、夜ごはんは食べました?」
「ううん。実はちょっとだけ仕事をしていたんだ」
それなのに、私が帰るタイミングを見計らって迎えにまで来てくれたんだ。だったら今度は私の番。世良さんに少しでも安らいでもらいたい。
「私に作らせて下さい。何が食べたいですか?」
食通なイメージのある世良さんの口に合うお料理を作ることは至難のわざだけど、取りあえずチャレンジ。
「じゃあリクエストしちゃおうかな」
「どうぞ、どうぞ」
とは言うものの、どんなリクエストなのか、かなり不安。すごいお料理名だったらどうしよう。私、お魚をおろしたこともないし、炊き込みごはんだって市販のものをまぜるだけだし、筑前煮とかたぶん無理……
「おにぎりがいいな」
だけど予想に反して思いっ切りシンプル料理。いやいや、それ、料理のうちに入らないよ。
「そんなものでいいんですか?」
もしかして料理下手なのがバレてる? まさか、私に気を使ってくれているとか?
「うん。あと、たまご焼きも」
「たまご焼きは甘めですか? それとも、だし巻きたまご?」
「だし巻きがいいね。プレーンでお願い」
「プレーン?」
「卵だけで作るやつ。ネギとか、余計なものはいらない」
嘘をついているようには見えない。本当におにぎりとたまご焼きが食べたいんだ。
「わかりました。お味噌汁も作りますね」
「いいねえ。その組み合わせ、最高」
「それにしても、意外でした。男の人って肉じゃがとか焼き魚を求めているものだと思っていたので」
「男は単純だよ。肉じゃがや焼き魚も好きだけど、基本に戻るのかな。僕の部下も同じことを言っていたよ。やっぱり、おにぎりとたまご焼きだよなって、そのときかなり意気投合した」
そのときの世良さんを見てみたかったな。もともと同じ職場だったのに。仕事中や休憩時間の世良さんを見る機会を逃してしまったのだと思い、ちょっぴり悲しかった。
でも、今は今で楽しい。こういうプライベートの姿を知っている女の子はあまりいないだろうから得した気分だ。
「じゃあ、スーパーに寄って下さい。足りない食材を買わないと」
「りょーかい」
こうして、世良さんへの初めて手料理がおにぎりとたまご焼きとなった。
世良さんのアパート近くにあるスーパーは深夜まで営業している。残業しても帰りに買い物ができるスーパーが近所にあるから、今のアパートを選んだのだそうだ。コンビニじゃないところが微笑ましい。
スーパーに到着すると、洗濯用洗剤がないと言うので、それも一緒に買うことに。
「そうだ、ついでにシャンプーも買わないと。そうそう、キッチンペーパーもなかったんだ」
そんなことを言いながら買い物をしていると、いつのまにか買い物カゴの半分以上を日用品が占めてしまった。やっぱり、いつも忙しいから買い物もままならないんだな。
重い買い物カゴをカートに乗せて、世良さんがそれを押す。その隣を歩きながら、まるで新婚さんみたいだなと思っていた。他人から見たら幸せ夫婦に見えるのかな。なんだか、くすぐったい。こういうのに慣れていないから、うれし恥ずかしな気分だ。
「日用品も充実しているから便利ですね」
「そうなんだ。ポイントも貯まるし言うことないよ」
「え? ポイントなんて集めているんですか?」
「最初は興味がなかったけど、あなどれないね。一年で千円分、いやもっと貯まる」
スーパーの買い物がこんなに楽しいなんて知らなかった。生活感丸出しな会話も味があって、互いの価値観にも触れることができる。
同じメーカーの牛乳を買っていることを知って妙にうれしいし、減塩の梅干しを吟味している姿を可愛らしいと思う。少しずつ知っていく喜びみたいなものを確かに感じていた。
そして、私が作ったおにぎりを「おいしい」と絶賛してくれたり、だし巻きたまごを「これこれ、この味!」と気に入ってくれたり。それもまた、私の心を豊かに満たしてくれた。
私に、生きてきた道は間違っていなかったと思わせてくれる世良さんはとても尊く思えた。