第7章 赤い口紅の女性(015)

 それから数日がたち、私たちはいまだにプラトニックな関係を貫いていた。あれだけお互いにやる気満々だったのに、直後に私におとずれたツキイチのもの。
『女も男の人と同じです』
 世良さんに言った私のセリフ。まさにそれ。『ごめんなさい』と謝りながら、ガッカリ度は私の方が強いかもしれない。一度、意識をしてしまうと、そのことばかりを考えてしまう。
 私たちはいまだに別々の布団で夜を過ごしていた。


 ***


「あ! 春山社長」
 午後、出先から戻って来た春山社長に気づき、席を立った。
「ついさっきサンセットクリエイトの間宮(まみや)さんから電話がありました」
「それで、なんだって?」
 立ち止まった春山社長に電話のメモを手渡す。
「星型イルミネーションのサンプル品の納期が三日ほど遅れるとのことでした。ヨーロッパの工場で機械の入れ替えがあって、製造が押してしまったそうなんです」
 メモには納期の日付が書いてある。今から二週間後だ。
「参ったなあ。打ち合わせ当日じゃないか」
「前日に航空便で到着するらしいので、午後の定例打ち合わせにはギリギリというところでしょうか」
「そうだな。取りあえず、それについてはあとで検討する」
 公園整備で使うイルミネーションの一部は輸入品を使う予定。今では日本の各家庭にもクリスマスイルミネーションが浸透してきたため、中国製などの安い商品も出回っているが、デザイン重視となると、やはり北欧などのメーカーの方がスタイリッシュなのだ。
「大変ですけどワクワクしますね。デザイン画を見る限り、銀河鉄道の夜みたいです」
 祈りを捧げれば神様が聞き入れてくれるんじゃないかと思えるほどに、そこに描かれていたのは神秘的な世界だった。

 公園は遊歩道を挟んでアクアエリアとスカイエリアに分かれている。アクアエリアには大きな噴水広場があって、噴水周りにあるクリスタルのようなオブジェのライトアップと水中に設置された照明器具が水面を彩るデザイン。
 一方、遊歩道から見下ろせる位置にあるのがスカイエリア。眼下に広がる芝生の上には十万個のLEDランプを敷きつめて、一面を宇宙に見立てる。それはまるでスワロフスキーを散りばめたような星空。

「これだけの数の白色LEDを見下ろすと、圧倒されちゃいそうですね」
「他にもいろいろ仕掛けがあるんだ。音楽に合わせて、LEDの色を変えたり、流れ星が現れたり、天の川を浮かべたり。点滅させるだけじゃないんだ」
「そんなことができるんですか?」
「あらかじめ、そういった複数のパターンをプログラミングしておくんだ。一定期間ごとに新しいパターンを入れ替えていけば、リピーターも楽しめるだろう」
「プラネタリウムの上映内容もいろいろありますもんね。相乗効果で季節ごとに足を運ぶ人が増えるかもしれないですね」
 刻々と変化するスカイエリアの光のアートは、噴水広場のあるアクアエリアへ移動する途中で楽しめるようになっているのだそうだ。見所はプラネタリウムだけでなく、公園全体。ひとつの敷地の中で、様々な光の魅力に触れることができる。
「うまくいくといいんだけどな」
「珍しく気弱ですね」
「毎度のことだけど工期がきついよ」
 プラネタリウムの外観は完成に近づいている。内装や設備の工事もだいぶ進み、現在は機器設置工事が本格的に行われているようだった。
「オープンまで五カ月あると言っても、竣工検査と関係者へのお披露目がありますからね」
「そうなんだよなあ。あとは、とにかくヨーロッパ工場の製作が順調にいくことを祈るだけだよ」

 うちの事務所が請け負っているプラネタリウムのライティングは建物を傷つけることのないように、外観を下から投光器で照らす手法。白色や水色、パープルのライトで浮かび上がるドーム形の建物は宇宙船のイメージ。
 それは不夜城のような荒々しくて煌々とした明るさではなく、無駄な光を抑えたやさしいライティング。建物のすべてを照らすのではなく、輪郭を浮かび上がらせるように光を当て、人の好奇心をかき立てる。光の装飾は陰を重んじるからこそ映えるのだ。
 そちらの施工準備は順調なのだが、問題は遊歩道周辺のライティングだった。
 納期が遅れる連絡があった星型イルミネーションは遊歩道の手すり用の柵に取り付けるもの。それは100メートルという長い距離。しかし、両方の柵に取り付けるため倍の200メートルとなる。
 サンプル品は急ぎのために航空便で取り寄せることになったが、大量の星型イルミネーションは船便で輸入することになっている。そのため納期までかなりの日数。その分、施工日数にしわ寄せされスケジュールが厳しくなった。とにかく竣工に間に合わせるために作業員の確保も課題だった。

「私もできることはお手伝いしますから」
「ああ、頼むよ」
 そのとき春山社長のスマホに着信があった。相変わらず忙しそうだなあ。話の内容からしてお客様みたいだったので、私は自分のデスクに戻った。
 お手伝いか……そうは言っても現場でヘルメットを被って作業ができるわけでもない。むしろ、みんなの足を引っ張るのは目に見えている。私にできることとはなんだろう。
 けれどパソコンに向かっていると頭が勝手に妄想をはじめてしまう。プラネタリウムのオープンは十一月下旬。その頃はクリスマスイルミネーションが華やかなんだろうな。世良さんと行けるかな。手を繋いで“寒いね”なんて言いながら、世良さんは笑いかけてくれるかな。

「亜矢。コピー屋に頼んだFKビルの図面のコピーは今日中にできるんだよな?」
 電話中の春山社長が上の空の私に話しかけてきた。すぐに我に返り「夕方までには届きます」と答える。さっきまでプラネタリウムの話をしていたのに、数分もたたないうちに、もう次のプロジェクトに移っている。
 それ以外にも東北地方のコンベンションセンターというビッグプロジェクトのコンペも控えている。ありがたいことに本当に息つく暇もない。だけど、この荒波にのまれていてはいけない。
「その図面、四時までに届けさせろ。打ち合わせが今日の五時に変更になった」
「四時ですか? でも、大量に発注しているので確認してみないことには……」
「確認する必要はない。午前中に頼んだ仕事だ。なにがなんでも四時までに届けろと言えばいいんだ」
「……わかりました」
 ふー。相変わらず厳しい。鬼だよ、鬼。コピー屋さんには申し訳ないけど、今日は急いでもらおう。こういうときのために普段は納期にゆとりを持たせている。おそらく必死に頼めば融通を利かせてくれるだろう。
 嫌な役まわりだけど、あさっての土曜日は世良さんとデートの約束の日だ。それを楽しみに仕事に励むことにした。


 けれど翌日の金曜の夕食後、デザートのバニラアイスを食べながら、残念なお知らせを聞かされた。

「ごめんね。なかなか忙しい社長さんみたいで……明日じゃないと都合がつかないらしいんだ」
「急用なら仕方がないですよ。気にしないで下さい」
「ほんとにごめん……また近いうちに時間を作るから」
 明日の土曜日の夜は一緒に外でごはんを食べる予定だったが、急にキャンセルになった。都内の業者さんと会うことになったらしくて、そのこと自体は別に不審な点はないんだけど、珍しく歯切れの悪い話し方。
 ドタキャンなんて初めてだから責任を感じているのかな。真面目な世良さんらしい。
「晩ごはんは、どうしますか?」
「食べてくるから、いらないよ」
「日曜も昼間はゴルフですし、大変ですね」
 一週間、働き通し。日曜日のゴルフは高嶋建設の社長のおともで、とあるゼネコン主催のコンペに参加予定だった。
 ゴルフというとオヤジ臭いイメージだけど、建設業界の人間はゴルフくらいできないと営業マンとしては失格。ゼネコンはもちろん、経済界の人脈を作る上でもゴルフは大切な営業戦略なのだ。
「日曜は三時頃には帰れるから。一緒にスーパーに行く?」
「はい。買いだめしたいので、お願いします」
 バニラアイスが麻婆豆腐の口の中をさっぱりとしてくれる。今日はこってり中華だったから日曜日の晩ごはんは薄味の和食にしようかな、と考えながら、最後のひとくちを口に入れた。
 先に食べ終わっていた世良さんがそれを見届け「もう一個食べる?」と聞いてくるので笑って首を振る。
「じゃあ、お茶にしようか。何がいい?」
「今日はほうじ茶ががいいです。私が淹れますよ」

 手軽に飲めるように買っておいたティーバッグのお茶は数種類。ほうじ茶以外にもアップル、レモンなどのフレーバーティーとカモミールなどのハーブティーをそろえた。同じものを春山社長のために買ったのだけど、それがなかなかおいしかったので、自宅用にも買っておいたのだ。
 食事のあとは、ゆったりまったりなティータイムが日課。会話の時間を大切にしてくれる世良さんは、必ずこうして時間を作ってくれる。そこではいつも他愛もない話をする。明日は3の付く日だからスーパーが《サンキュー(39)5%割引デー》だねとか、そろそろ炊飯器を買い替えたいんだよねとか。一緒に住んでいるからこそ、こんな会話も有意義なのだと思う。

「今日のお弁当もおいしかったよ。タラコとコンブだったね」
 ほうじ茶をふーふーしながら、世良さんがマグカップに口をつけた。
「毎日、梅干しとシャケのおにぎりだと飽きちゃいますから」
 世良さんのお弁当は必ずおにぎりにしている。おかずは小さなタッパに詰めて、今の時期は食中毒が心配なので保冷剤もつけている。
 現場の職人さんが家から持参してくるお弁当はおにぎりも多い。休憩場所は屋根の下とは限らない。車の中、現場の片隅。雨の日も、猛暑の日も、極寒の日もある。だから、なるべく食べやすいように、食欲がなくても口に入れやすいようにと、職人さんの奥さんはおにぎりを持たせる人が多いのだそうだ。
 世良さんからその話を聞いて、私もその奥さんたちを見習おうと毎朝おにぎりを握っている。世良さんがおにぎり好きということもあるけど、忙しくてお昼休みがちゃんと取れない日でも、せめて、おにぎりだけは口に入れてほしいなと思って。
「そう言えば会社でからかわれませんか?」
 世良さんがいきなり手作りお弁当持参となると、会社では大騒ぎに違いない。
「最初の三日間はいろいろ言われたけど今は何も。亜矢ちゃんが作ってくれたんだって言ったら、さすがに驚かれたけど」
「ええ! 世良さん、バラしちゃったんですか?」
「ひとりにだよ。ほら、亜矢ちゃんも仲が良かった奴だよ」
「西倉(にしくら)さんですか?」
「そう。しつこく聞いてくるもんだから。あ、一応、口止めはしておいたからね」

 西倉さんは私と同期の女の子の旦那さん。ふたりは社内恋愛、しかも同じ部署内で結ばれた。子供が生まれたばかりで今は育児休暇中の彼女は、世良さんと同じ部署でもあるのだ。
 懐かしいな。みんなそれぞれの道を歩んでいて、私もあの頃には想像がつかなかった人生を歩んでいる。私にもいつかそんな日が来るのかな。結婚して子供を授かって、それから……
 どんな未来なのだろう。今では結婚のその先を考えるようになった。
 庭付き一戸建てかな? それとも分譲マンションかな? おじいちゃんとおばあちゃんになっても、ふたり仲良く、こうしてお茶を飲んでいるのかな。


 
 
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