第10章 輝く夜を超えて(024)

 十月の初旬。プラネタリウム公園の一部イルミネーション公開点灯試験が行われることになった。現場関係者はもちろん、施設と役所の関係者も勢ぞろい。
 今日は遊歩道とスカイエリアを試験点灯する。そして今日は特別に春山デザイン社員一同も現場に来ていた。
 他のみんなはその道のプロだから当たり前。だけど私はただの事務員。現場にいてもいいのだろうかと思ったけど、それも春山社長の言葉で心が軽くなった。
『亜矢だって現場の関係者だよ。いろいろと手伝ってくれて、かなり助かったよ』
 人手が足りなくて、なにかと仕事を頼まれていた。急ぎで必要な材料を届けたり、書類作成の手伝いをしたり。簡単なことしかできなかったけど、それでも労いの言葉をかけてもらって照れくさい。


「間に合ってよかったですね。かなりギリギリだったと聞きました」
 春山社長と数人のうちの事務所の社員、そして電気工事業者の人達が、昨夜、徹夜で作業をしていたそうだ。
「四十過ぎの身体には堪えたよ」
「いやいや、まだまだお若いですよ」
「でも、これからのことをいろいろ考えちまったよ」
「後継者はちゃんと育っていますよ」
「ああ。コンベンションセンターの仕事が取れたら、そろそろ、任せてみようと思う。あいつらにビッグプロジェクトの経験をさせたいんだ」
 春山社長は一瞬、社員たちに目を向け、再び正面に向き直した。
「もう引退されるんですか?」
「違うよ。アドバイザー的な役にまわるんだよ。もちろん今まで通り、自分の仕事は続けるよ。でも、若い連中にも厳しい環境を経験させて、その中で柔軟性と忍耐力をつけさせたいんだ」
 自分の仕事に誇りを持っているからこそ言えるセリフだと思う。今まで培ってきた技術を後世に繋ぐために……こうやって、日本のものづくりは受け継がれているのだと肌で感じた。
「尊敬します」
「やめろ。気持ち悪いこと言うな」
「今日だけです。たぶん、気持ちが高揚しているんだと思います。今から、目の前に銀河鉄道の夜が再現されるんですから」

 淡いブルーに光る星型イルミネーションで飾られた遊歩道の真ん中で、真っ暗なスカイエリアを見下ろす。これから、この一面に一斉に光が灯り、幻想的な夜がはじまる。
 イルミネーションは十九時に点灯するようにタイマーセットされている。タイマーがうまく作動しないと、それだけで役所の人間から大目玉を食らうことになるので、まずそれが第一関門。
 何度も点灯試験を繰り返しているとはいえ、緊張してくる。うまく点灯するといいけど。

「こんな特等席でじっくり見られるのも、今日だけですね」
「客が大勢入れば、ゆっくり立ち止まって見ることもできないかもしれないな」
 春山社長がクスリと笑う。その横顔を見て、だから今日、私をここに連れて来てくれたのだと、なんとなく思った。
「ありがとうございます」
「遠慮しないで、たっぷり見ていけよ」
「はい。では、遠慮なく」
「念のために言っておくが、見るのはイルミネーションの方だぞ。間違っても俺に見惚れるなよ」
「念のために言わなくても、ぜんぜん大丈夫ですから」

 世良さんに会いに空港へ行った日から一週間後に、春山社長はたくさんのお土産を手にして出社してきた。一週間もたてば、当時の怒りもすっかりおさまり、甘いお土産の数々にご機嫌になる。
 それも計算のうちなのだと知りつつも、しょうがないなあという気持ちになってしまう。女の扱いがほんと上手。なるほど。これが春山社長のテクニックか。

「世良くんはいつ帰国するんだ?」
「今月中とは聞いているんですけど。なかなか、きりよく仕事が終わらないみたいなんです」
「……そっか。世良くんも大変だな」
 予定より数日、帰国が延びていた。だけど元気そうなので安心している。
 つい先日、シンガポールの夜景の絵ハガキが送られてきた。世良さんのきれいな字を眺めながら幸せな気持ちに浸れたから、もう少しだけ我慢できる。
「一分前だな」
 春山社長がスマホで時刻を確認した。そして十秒前となり、どこからともなくカウントダウンがはじまる。
「いよいよですね」
 心臓がドキドキしてくる。ザワザワと周囲も落ち着きがなくなって、スカイエリアにみんなの期待が注がれていた。
『6・5・4──』
 無意識に胸の前で手を組み合わせる。
『3・2・1──』
『ゼロ』というカウントは聞こえなくて、代わりに一斉に歓声が上がった。
「……きれい」
 まるで世界が変わる。目の前に広がるのはスワロフスキーの輝き。真っ白な光は天に向かって煌めいていた。
 みんなが笑顔になる。作業服を着たごつい男性までもが瞳をキラキラさせている。
 感動という言葉だけでは言い表せない。言葉にならないほどの美しい光景はファンタジックで、迷い込んだ夢の世界で、私は忘れかけていた純真な心をもう一度取り戻せたような気がした。
 そして、わき起こる拍手。ここにいるみんなの心がひとつになった──

「成功、おめでとう」
 ふいに隣から声がした。隣にいたのは春山社長。だけどその声は春山社長……じゃない……
 まさか、この声……
 私はその声を辿って視線を移した。漂ってくる大好きな香りに涙腺が緩みはじめる。
「……せら、さん」
 どうして、世良さんがここにいるの?
「ただいま。亜矢ちゃん」
 変わらないその声が夢ではないと告げていた。本物だ。本物の世良さんがここにいる。いつの間にか春山社長はその場を離れ、ふたりだけの小さな空間が生まれていた。
 もう……ふたりで私を騙すなんて。こんなサプライズをするなんてズルイよ。
「……おかえりなさい」
 見上げる先にやさしい眼差し。世良さんはいつものように穏やかに笑っていた。
「驚いた?」
「驚くに決まっているじゃないですか! いつ帰国したんですか?」
「今日の午前中に」
「ひどいです。昨日はそんなこと、ひとことも言っていなかったのに……もう、知らない!」
 わざとそっぽを向いてやった。
「怒っちゃった?」
「当然です」
 だけど本当は飛び上がるほどうれしくて、泣きそうだったから。だけど言ってあげない。うれしいなんて言ってあげないんだから。
「ごめん、ごめん。怒らないで、こっち向いてよ」
「……」
「亜矢ちゃん、せっかくのイルミネーションだよ。こんなにきれいなんだ。目を逸らすなんてもったいないよ」

 世良さんと最後に会った日から季節は移り変わり、灼熱の夏からしっとりとした秋になっていた。
 スーツ姿の世良さんは出国するときとは打って変わり、キリリとしたビジネスマン。少し髪が伸びていて、会えなかった時間の長さを少しだけ感じる。
 でも、やっと会えたんだ。それまでの一年はあっという間だったのに、この二カ月間はとても長かった。この日をどれだけ待ち焦がれていただろう。

「イルミネーションどころじゃありません」
「ふたりで見たいんだ。今のこの瞬間は二度と戻らないんだよ」
 諭すように語りかけられた。
 二度と戻らない──
 青い空の景色が毎日違うように、この景色も二度と見られない。気温や時刻、風のゆらめきが違うだけで受ける印象は変わる。サプライズで世良さんと会えた感動の中で見るこの景色は今日だけのもので、一カ月後に見たら、また違うものに映るだろう。
 私の誤解によって離れていた時間を取り戻したくて、世良さんが帰国をしたら、できるだけ寄り添っていようと決めていた。生きるという限られた時間の中で、同じ時間を共有できることは貴重。無駄にしたくない。ふたりでいられる時間を大切にしたい。
「世良さんの言う通りですね。これからは同じ思い出をたくさん作りたいです」
「僕も同じだよ。シンガポールの夜景を見ながら、亜矢ちゃんにも見せたいなって思っていた」
「絵ハガキ、きれいでした」
「でも、この夜景はシンガポール以上かも。今日、ここに来て本当によかったよ」

 パイプオルガンやハープの音色に合わせて、白い光が風になびくように形を変えていく。流れ星が煌めいたと思ったら一羽の白い鳥が羽ばたき、赤いハートの線が浮かび上がる。
 白いLEDだけでなく、赤や青、黄色い光も芝生のキャンバスの上で踊っている。綿密に計算されて配置された人工の光だけど、人間の感情を刺激し、いくつもの感動を与え、心を豊かにしてくれた。

「きれいだね」
「はい、とっても」
 闇に紛れて繋がれた手は、しなやかで、とてもあたたかい。
 ここに来るまで長い道のりだった。プロポーズされてから五カ月。そんなにたっているんだ。
「亜矢ちゃん?」
「……もう無理です。胸がいっぱいで……前が見えません」
 もともと緩んでいた涙腺のせいもあって、あっけなく決壊を破った涙の雫がポロポロと流れ落ちる。
 せっかくふたりで見ているのに。ごめんなさい、世良さん。今日だけは許して下さい。
「僕のお姫様は相変わらず泣き虫だな」
 握られていた手が離されたかと思ったら、すぐに肩を抱かれた。俯いて涙を拭う私を胸の中におさめ、きつく抱き締められた。
「そんなに感動したの?」
「……世良さんのせいです」
「そっか。じゃあ、仕方ないな」
 安心する香りに目を閉じた。
 役所や施設関係者はもちろん、高嶋建設をはじめとする工事関係者もたくさんいるのに。みんながいるのに世良さんは周りの目を気にしない。
 強くて、やさしい。だから好きになった。やさしいだけなら好きにならなかった。
 世良さん、私は生まれて初めて人を守りたいと思ったんです。あなたの笑顔を守るために、私も強くなりたいと思いました。


 
 
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