1.敏腕マネージャー(001)
私の中にある、あなたへの愛を伝える方法
言葉だけじゃ足りない
キスでも足りない
身体を重ね合わせることでも足りない
きっと一瞬一瞬の表現じゃ伝えきれないと思う
長い時間をかけないと……
だけどはじまる場所はここから──
ここからあなたとはじまるの
◇
「コンパニオンにテレフォンレディ。大型ドライバーにラブホの清掃員。ろくなバイトないよなあ」
アルバイト情報誌にネット求人を読みあさり、佐藤奈々は溜息をもらす。
「居酒屋だと時間が遅いし、コンビニはここからじゃ遠いし」
アルバイトを探して約一週間だがなかなか条件のいいものを見つけられずにいた。
地方から大学進学のために上京して三ヶ月。子供のころから貯めていたお年玉と高校生の頃にやっていたバイトのお金はもう底をついていた。
ひとり暮らしの生活費や大学の教材、そして飲み会の費用がかさみ、今では自分名義の通帳の預金残高は一万円にも満たない。親から毎月仕送りはあったが、奈々の家は特別裕福でもない普通のサラリーマンの家庭。そのためなるべく親の仕送りに頼りたくなかった。
だけど、いい加減バイトでもしないと遊ぶにも苦労する。そこで大学生活もだいぶ慣れてきた六月の今、アルバイト先を探しているのである。
そんなとき、新聞の折り込み広告で見つけた『vivid prismオープニングスタッフ募集』の文字。家から徒歩で通える場所に新しいショッピングセンターができていて、そこのテナント店のアルバイト募集広告だった。
お店は、十代や二十代前半の女の子向けのアパレルショップ。オープニングスタッフということは採用人数も多いはず。それにアパレルショップなら高校生の頃にも少し働いた経験があった。
「ここ、いいかも」
あまりにしつこい勧誘とおまけの洗濯洗剤の誘惑に負けて購読することにした新聞の勧誘のお兄さんに感謝!
さっそくその広告を手に電話をすると、電話の向こうからは単調な声が聞こえ、とんとん拍子に話が進んだ。
『水曜日の16時に面接に来られますか?』
「はい。大丈夫です」
ひと通り説明を受けると、面接は三日後と告げられた。
『それではそのときに履歴書を持参してきて下さい』
あ、忘れてた。すぐに履歴書の準備をしなきゃ。
奈々は頭にそのことをインプットし、ほっとしながら電話を切った。
面接の日。電話で指定された時間通りに面接場所に到着。
こんな大きなお店があったんだなあ。
奈々は、まだオープンもしていない真新しい建物を見上げる。土地勘のない奈々は自分の住むマンションの近くにショッピングセンターができていたことすら知らなかった。
従業員用の通用口から恐る恐る中に入ると通路には所狭しに商品が積まれ、従業員がオープン準備のために奔走している。初めて見るショッピングセンターの舞台裏。それだけで圧倒されてしまいそうだ。
「エレベーターでどうぞ。その方が迷わず辿り着けますから」
「ありがとうございます」
受付に立ち寄ると、警備員さんに面接を受ける部屋を教えてもらった。そこは二階のつきあたりにあるという。そして二階の一番奥にあるその部屋の前まで来ると、履歴書を胸にドアをノックした。
「はい。どうぞ」
「失礼します」
部屋の中からは男の人の声。事務所には声の主がひとり、長テーブルを前に座っていた。
なんなのだろう、この緊張を煽るような空気は……
奈々は部屋に入るなり、想像以上の緊迫した雰囲気に圧倒されてしまった。
「電話ではどうも。桐生(きりゅう)です。じゃあ、そちらに腰掛けて」
低い声が奈々をさらに緊張させた。目の前の椅子へ座るようにうながされ、カチカチになりながら腰をおろす。
電話ではもう少し人当たりのいい感じのしゃべり方だったと思っていたのに、今、目の前にいるその人は声もさることながら顔もちょっと威圧的。たぶんその鋭い目つきのせい。
だけど、くっきりとした二重の奥行きのあるような瞳は彼の端正な顔立ちを引き立たせてもいた。今は椅子に座っているけれど、たぶん背も高い。体格もよくて筋肉質な感じ。いくつぐらいだろう。二十代半ばだろうか。
でも見れば見るほど怒っています? と、聞いてみたくなるような雰囲気を醸し出していた。それでも気持ちをなんとか整えた。
「よろしくお願いします! 履歴書です」
怖いけど最初が肝心と思い直し、元気よく挨拶をした。
履歴書を渡すと、面接官の男、桐生学(きりゅうまなぶ)はそれに目を通す。
「週に何回ぐらい働ける?」
「働かせてもらえるのでしたら週に四日でも五日でも大丈夫です」
「じゃあ今までのアルバイト経験は?」
「高校生の頃に一年ほどアパレルのお店でアルバイトをしていました」
面接がはじまると次々に質問が飛ぶ。奈々は最初こそ緊張しながらも順調に返答をしていた。
「へえ。なんていうお店?」
「ブルーシーズンというお店です」
「ああ、そこなら知っているよ。アパレル業界の集まりでもよく顔をあわせるんだ。それに、うちと同じで全国的に展開しているからね」
アパレル業界については無知の奈々。そんな横のつながりもあるのだと興味深く聞いていた。
面接の時間は二十分ほど。そのあとも休みのペースのこと、通勤手段などを質問された。
「結果は一週間後、電話での通知になります。これまでの応募人数は十数人います。時間がかかって申し訳ない」
十人以上となると採用の可能性はかなり薄い。しかも結果連絡まで一週間。ずいぶん長い。
「ありがとうございました」
奈々はぺこりとお辞儀をして事務所を退出しようとする。
だが帰りがけ……
「何か質問でも?」
奈々がもぞもぞと何か言いたげにしていたので、桐生が訝しげに見つめた。
「あ、いえ。質問ではなくて……ただ、身体に悪いなと思って」
「何が?」
「煙草、吸い過ぎだと思いますけど」
桐生の目の前にある灰皿に溜まった煙草の吸い殻の山を見て、奈々が遠慮がちに微笑んだ。
「午後はずっと面接だったからな。今日は君で最後の面接だけど五人目なんだよ」
面接とは、する側も気が張ってしまうのだろうか。揉み消された吸い殻の山を見ながら、随分と気苦労な仕事なのだなと思った。
「大変なんですね」
「ああ。でも忠告ありがとう。気をつけるよ」
「すみません、生意気を言ってしまって。うちの父と同じ銘柄の煙草だったものですから」
「お父さんもヘビースモーカー?」
「はい、いつも母と私に注意されて、その度に小さくなっています。でもやっぱり身体に悪いですし、心配ですから」
「でも仕事の合間に煙草を吸うと集中力が増すんだ」
「そんなのはただの言い訳です。煙草は集中力を持続する効果はないですよ」
「……確かにそうだな」
桐生はこのやり取りに堪らなくなって笑いそうになった。おもしろい奴だと奈々への関心を強めた。可愛いと周りに甘やかされてきたふうでもない。容姿に似合わず、芯がしっかりしている。きっと、いい両親に育てられたのだろう。
バイトの面接官に煙草の吸い過ぎをする苦言なんて生意気にも程がある、といつもの桐生だったら思うのだが、この日は違った。彼女の純粋な瞳を見ていたら、自分が間違っていると素直に認めざるを得なくなる。
たった二十分程の間なのに自分がこんなのもかき乱されるとは。ドアの向こうに消えかかる彼女を見送りながら、もう少し話したいと思ってしまうのだった。
約束の一週間後、奈々のもとへようやくかかってきた電話。
『vivid prismの桐生ですが、佐藤さんの携帯でしょうか』
低いトーンの声にゴクリと息を飲んだ奈々。期待半分、諦めも半分。それでも期待の方が少しは勝っていたのかもしれない。妙にドキドキしてしまうのがその証拠。
「……はい」
『この度、採用となりましたので来週の火曜日から来て頂きたいのですが都合は大丈夫ですか?』
……え?
告げられた言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。
「大丈夫です! 伺います」
『それで時間なんですけど、佐藤さんは学生さんなので大学の授業もありますよね。となると、何時から入られますか?』
桐生は面接のときと同じような淡々としたしゃべり方。それが奈々の抵抗感に拍車をかけてしまったようで、緊張しながら話を聞いていた。
そして数分のやり取りで時間と入店の仕方を確認し、電話を切る。途端、一気に緊張の糸が緩んだ。
「ふぅー……」
ずっと電話の声が怖いと思っていたので、思わずもれた溜息。でも、採用されたのはラッキーだった。自分を認めてもらえたのだと、素直にうれしかった。
そして、これが奈々の運命を変えるきっかけ。この先、たくさん泣いて笑って、人生の多くのことを彼から教えてもらうことになる出会いだったのだ。
そう、ここから、すべてがはじまる──
一方、用件を済ませ、電話を切った桐生は、自分の意外な心理状態に苦笑いを浮かべる。
奈々の面接を受け持った日。ドアが開いてひょっこり顔を覗かせたその姿に見とれてしまったのだ。
さらさらな柔らかそうな髪、ふっくらとした色白の肌。愛くるしい大きな瞳、ピンク色の唇。奈々の飾らない雰囲気から、育ちのよさと純粋な無邪気さを感じていた。
そして、あの笑顔。
ほとんどの人間は初対面で桐生を見ると委縮する。だが、奈々は少し違っていた。次々に浴びせる質問に、緊張しながらも、余裕を持った受け答えができる。
そこで桐生の直感が働いた。
店の売り上げは売り場の人間にかかっている。バイヤーがどんなにいいものを仕入れてきても、売り場の人間に才能がないと、その服は埋もれる。だから余計に人事には気合いが入り、強面にもなる。そんな自分と初対面に自然に接することができるなら、彼女には素質があるかもしれないと思ったのだ。
だけど、それとは違う目で見ている自分がいるのも感じていた。
率直にいい女だと思ったし、十八歳にしては色気もある。何より人を惹きつけるオーラを感じていた。おそらく周りの男が放っておかないタイプだろう。
もちろん、感じることはそれだけでない。
──気になる存在
だが、昔から女性には事欠かなかった桐生にとって、この違和感を認められずにいた。
どうせ一時的なものだろう。そうに決まっている。
そのため、葛藤する気持ちをひた隠しにして事務的に面接を続けていた。
『土日の勤務も大丈夫? こういう商売だから、毎週は休めないよ』
『はい、大丈夫です』
『通勤手段は?』
『自宅から徒歩で通勤できる距離です』
『……家は…ひとり暮らし?』
『はい』
それからも矢継ぎ早に質問をした。面接のときにする質問はほぼ同じ。個人的な趣味を尋ねる面接官も多いが、実際、仕事に影響があるかと言えば、ないことが多いような気がするので、桐生は特に判断基準にしない。
それに、会話の中で仕事に必要な大まかな部分は見極められるので、桐生は質問事項に入れることはなかった。
だが、重要視している質問事項はある。
『応募のきっかけは?』
桐生の面接のポイントがこれである。バイトの面接の際は必ずこの質問をするのだが『求人広告を見て』と返してこようものなら論外。即、不採用の烙印を押すことは確実。雇用する側の人間として、そんな答えは求めていない。
だけど奈々は、いい意味でそれを裏切った。その大きな瞳をさらに輝かせてこう答えたのだ。
『以前、アパレルの仕事にほんの少し携わっていたのですが、それがきっかけで販売という仕事がとても好きになりました』
とりたてて優秀な回答ではない。しかし素直なその意見は桐生に直球に響く。
いいかも、な。
今まで面接してきた人間は、ファッションに興味があるからとか、将来はショップ店員を目指しているとか、そんな理由ばかりでうんざりしていた。
違うんだよ。俺が求めている人間は……
いつもそう思っていた。
見た目がおしゃれだとか、センスがあるとか、それはもちろん大事だが、それしかない人間はいらない。会社が目指しているものはそこではない。
桐生は奈々の履歴書に赤ペンでマル印を書き記した。