1.敏腕マネージャー(002)

 
 採用の電話から数日後。いよいよ初出勤の日。奈々は午後から出勤するように言われていた。
 といってもまだオープン前。ショッピングセンターの正式なオープンは三日後だった。
 奈々が面接の日と同じように従業員用通用口から入ると、偶然そこで桐生に会った。
 桐生が奈々に気づいて近づいて来る。
「おはようございます」
 少し緊張しながらも奈々は挨拶をした。
「おはよう。ちょうどよかった」
 ちょうどよかった?
 なんのことだろうと小首を傾げると、桐生が、手に持っていたものを見せながら「今度から入口で警備員さんにこれを見せて」と名刺サイズの入店証を渡された。
「じゃあ、こっち」
「あ、はいっ!」
 奈々は入店証を手にすると、それを眺める暇もなく、桐生に案内されてエレベーターに乗った。
 それからお店のある三階のフロアへ到着するとフロアの一角だけ照明が点いていて、六、七人くらいの人たちが既に作業をしているのが見えた。
 奈々は午前中、大学があったため午後からの出勤にしてもらっていたが、ここにいる人たちはみんな朝から出勤している人たちだ。

「まずはダンボールの片づけをやってくれる?」
「分かりました」
 着く早々、他の従業員への自己紹介もないまま、桐生は仕事の指示を出すつぶした状態であちこちに散乱しているダンボールを一箇所に集めて台車に乗せる作業だった。
 奈々は言われるがまま、それに従った。だけど、これがまた重労働。ひたすらダンボールをかき集めるも、女の子にはこの力仕事はこたえる。
 ほこりっぽいし、手も荒れるなあと思っていると、少し離れた場所にいたはずの桐生がいつのまにか黙ってダンボールを台車に乗せはじめていた。
 袖口をまくった先に見える腕はたくましく盛り上がった筋肉。その男らしさと、さりげなさにちょっとだけ見とれながら、意外にやさしい人なのだなと桐生への抵抗が少しだけなくなったような気がした。

「ありがとうございます」
「結構、きついだろう?」
「そうですね。これだけあると大変です」

 集めたダンボールを取りあえず乗せられるだけ台車に乗せた。それはかなりの量。
 それをどうするのかと思っていると、桐生が店の端で作業をしていた背の高い若い男の子を呼んだ。
「工藤くん、ダンボールを捨てる場所を佐藤さんに教えてやって」
 眼鏡をかけた短髪の工藤と呼ばれた男の子は奈々と同年代。まじめで堅物そうな風貌は女の子の洋服を扱う店には不釣合いな容姿だった。
「案内するよ。こっち」
 奈々がその男の子のあとをついて行くと、歩きながら話しかけられた。
「俺はフリーターでこの店に雇われたんだけど、佐藤さんはどこの店の人?」
「どこの店?」
 妙な言い方だなと思い聞き返す。
「今は他の店舗からも応援の人が何人か来ているから。佐藤さんはどうなのかなと思って」
 そういうことかと納得する。フロアで作業をしていた人が全員、この店のオープニングスタッフというわけではないのだ。
「私は先週、このお店の面接を受けたんです。今日から来るように言われて。でも午前中は大学があったので途中からですけど」
「俺も佐藤さんが来る少し前に来たところだよ。しかも昨日いきなり『明日から来られる?』って桐生さんから連絡きて焦ったよ」
 工藤は少し拗ねたように言う。
「そうなんですか? 私は先週採用の連絡があった時に火曜日から来てほしいって前もって言われていましたよ」
「はあ? そうなの? 俺はだいぶ前に採用が決まっていたのに、ひどいよなあ」
「それは急過ぎですよね」
「たぶん、俺にだけ連絡するの、忘れていたんだよ」
 奈々は工藤に同情しながらも、おかしくて思わず笑ってしまった。堅物そうに見えるけど話してみると気さくな人だ。
 それからダンボールを捨てフロアに戻って来ると、そのあとはひとりで黙々と片づけを続ける。何度かひとりでごみ捨て場を往復したあと、おおかたダンボールは片づいた。

「佐藤さん、次はこっち」
 次に何をやろうかと仕事を探していると桐生が奈々を呼ぶ。
 桐生は、店の奥でひとりで作業をしていたスタッフに、奈々を紹介した。
「塚本さん、こちらは佐藤さんです。今日から働いてもらっているので、仕事を教えてあげてください」
 桐生の丁寧語は珍しい。
 塚本は桐生よりもずっと年上の女性。奈々の母親ほどの年齢だろうか。彼女は肩まで伸びた髪にゆるくパーマをかけている。
「佐藤です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
 次の手伝いは雑貨類の品出しだった。
 この店は洋服だけでなくアクセサリーや小物も扱っている。大手企業グループの子会社で全国展開しているこの店は中国にも縫製工場を持ち、雑貨類もすべて中国からの輸入物だった。

「じゃあ、さっそくこれをお願いするわ」
 塚本が持って来たのは小さめなダンボール。それを床の上に置くと、ダンボールを慣れたように開けた。中には、ピアスやシュシュなど。いろいろなアイテムが混在していた。
「まずこの書類を見ながら数が合っているか検品して、OKなら商品をこの棚の上に全部並べて」
 それから塚本はそれを奈々に任せると、すぐに別なダンボールの商品の陳列をはじめた。
「佐藤さんは学生さん?」
 テキパキと作業をしながら、塚本が尋ねる。
「はい。大学一年です。あの、塚本さんは?」
「私はただの主婦。パートなのよ」
「えー!? そうなんですか? 仕事ぶりがベテランなので社員さんだと思っていました」
「あらそう? ありがとう。実は、私ね、若い頃はデパートに勤めていたのよ。だからこういう仕事は慣れているのよ」
 手を休めることなく、塚本が朗らかに言った。
 奈々はさっきの塚本の仕事ぶりを思い出してみる。
 納得だ。饒舌な塚本が、ひとり黙々と仕事に打ち込んでいた姿は、とても熱心でプロという感じだった。

「塚本さんもこのお店のスタッフなんですか?」
「そうよ。佐藤さんも?」
「そうなんです。でもこの雰囲気に慣れないですね。高校生のころ、少しだけアパレルのお店でアルバイトはしていたんですけど……」
「あら、大丈夫よ。すぐに慣れるわよ」
 塚本はそう言うと、奈々をリラックスさせようとしてか、昔のことを語り出した。
 デパート勤務のときは同時に何人もの男性から交際を申し込まれていたとか、今の旦那さんはその中のひとりだという恋愛トーク。奈々は一気に塚本の明るさに引き込まれ、興味深げに耳を傾けていた。
「すごーい! モテモテじゃないですか!」
 塚本には高校生の息子がいるが、若々しく、魅力が溢れていた。いい意味で年齢不詳で、たくさんの男性から言い寄られていたのも頷ける。
 塚本とは年の差はあったが、すぐに親しくなった。母娘というよりも頼れる姉のような存在。それは、偶然にもふたりの出身地が同じ地方の県だったというのも身近に感じた理由だった。東京に親戚がいない奈々にとって心強い存在でもある。

 おまけに塚本はやたら店の情報に詳しい。
 実はこの店には今、店長がいない。といっても一週間後に関西方面の店舗から転勤してくる予定である。
「店長は女性なんだけど結婚を控えているんですって。それで旦那さんの仕事の都合で一緒に東京に引っ越して来ることになっていて、それを期に新店長としてこのお店に転勤してくるらしいのよ」
「そうなんですか。融通がきく会社なんですね」
「そうね。全国にお店があるから転勤は多いみたいだけど、そういう点はいいわよね」
 また、ほかにも新入社員の森という男性社員もいるということも知る。店長、社員の森、フリーターの工藤、パートの塚本、そして奈々の五名がこのお店の正式なスタッフということだった。
「他にいた人たちはどういう方ですか?」
「あの人たちは別な店舗からの応援の社員さんとバイトの人よ。数日だけ手伝いに来ているだけなの」
 そういえば工藤もそんなことを言っていた。だから自己紹介といった改まったことが必要なかったのかもしれない。
「意外にスタッフの数は少ないんですね」
「五人もいれば十分よ。社員が二人いるし、それに私と工藤くんがフルタイムで働けるもの」
「それじゃあ、桐生さんは?」
「桐生マネージャー?」
「マネージャー?」
「そうよ。あの人はエリアマネージャー。東京の一定範囲にあるお店すべてを管理している人なの。十店舗以上は受け持っているんじゃないかしら」
 桐生は本社勤務だが、時間がある限り、受け持ち店舗の見回りを行っている。普段は店の人事は店長の仕事だが、今回は店長が不在ということで、桐生が担当したということだった。
「そういう事情だったんですね。しかも、偉い人なんだあ」
 奈々は桐生の肩書きに恐縮する。桐生は口数が少なく体格もいい。そして、なんともいえない威圧感。そんなところも怖さを助長していた。
            




 
inserted by FC2 system