1.敏腕マネージャー(004)

 
 オープンから数日がたち、スタッフ全員、ようやく仕事に慣れてきた。緊張続きだった奈々も、逆にそれがいい刺激となり、仕事に楽しさも感じるようになっていた。
 今日、新しい女性店長が赴任してきた。
「バイトの佐藤奈々です。よろしくお願いします」
「笠間(かさま)です。ずっと留守にしていたけど今日からよろしくね」
 笠間麗子(かさまれいこ)。年齢は26歳。156センチの奈々よりも小柄で、すらっとした細身の体形だ。
 関西方面からの赴任ということを聞いていたが方言はない。くわえて色白美人で上品な印象。塚本のようなぐいぐい引っ張っていくようなタイプとは真逆の女性だった。

 その日の笠間は社員の森からひと通りの引き継ぎを受けているようで、パソコンを覗いたり売上ファイルをチェックしたりと淡々と仕事をこなしていた。
 さらにその日の夜は笠間の歓迎会も兼ねて、オープンを手伝ってくれた他店舗のスタッフを交えての飲み会が開かれることになっていた。
 奈々は遅番。シフトに入っていた塚本は一足早く帰り、奈々がひとりでお店を閉めることになった。
 塚本は今日の飲み会は欠席。「塚本さんも遠慮しないで来て下さいよ」と、奈々は彼女を誘ってみたが「若い人たちで楽しんできて」と返されてしまい、勤務が終わるとさっさと帰ってしまったのだった。
 夫と高校生の息子がいて家族優先の塚本は飲み会なんてものはパスなのだそうだ。
 どうしよう。塚本さんがいないと不安だよ。
 奈々は他店舗のスタッフのことはあまり知らない。同じお店のスタッフの中でも気兼ねなく話せるのは塚本しかいないため、今日の歓迎会は憂鬱に思えた。

 夜の9時過ぎ。奈々は店を閉め、電車に乗りひとり飲み会の会場である居酒屋へと向かった。
 会場となる場所は初めて行く街。そのため、店の場所が分かるか心配だったが、たくさんのネオンが煌めく通りは駅のすぐ目の前にあり、その大通りに目的の店の看板を見つけることができた。
「あのビルの2階か。入りにくいなあ」
 夜の異様な盛り上がりを見せる繁華街。たくさんの人間が行きかう中で、そのビルを見上げながら思っていた。
 しかし1階の入口に目を向けると、なんとそこには見覚えのある顔。向こうも奈々に気がついた。
 そこにいたのは工藤だった。
「あー、よかった。佐藤さんに会えて。誰も来なくて心配だったんだ」
「あれ? まだ誰も来ていないんですか?」
「うん。ひとりで店に入るのが不安だからここで待っていたんだけど、まだ誰も来ないんだよね」
「それでずっとここに?」
「うん。だって入りにくいじゃん。まだスタッフの人たちと打ち解けていないのに」
「それ、分かります。私もちょっと憂鬱でした」
 意外に小心者の工藤。初対面のときは感じなかったが、もしかすると人見知りする性格なのかもしれない。
 オープン準備のとき以来、まともに会話をしていなかった奈々と工藤だが、それがきっかけで距離が近づいた。世間話をしているうちに奈々の彼への呼び方も『工藤さん』から『工藤くん』に変わったほど。
 工藤はまじめな風貌とは違い、塚本と互角といっていいくらい、とてもおしゃべりだった。おかげで夢中になり過ぎて、いつの間にか、かなりの時間が過ぎていた。

 しかし、待てども待てども……
「誰も来ないね」
「遅すぎるよな」
 お店の場所を間違えたのだろうか。だけど、ここは有名なチェーン店。しかも、森から住所まで教えてもらっているので間違いない。
「いくらなんでもおかしくない? もう時間も過ぎているよ。取りあえず中に入ったほうがいいと思うけど」
 奈々は心配になり工藤に促した。予約をしているのだから、間違っていればそこで分かるはずだ。


「ご予約、確かに入っていますよ。ご案内します」
 お店に入り、店員が言っていたのを聞いてほっとする。それからお座敷に案内されるが、奈々は工藤と顔を見合わせてしまった。入るなり、その場にいた全員に睨まれたのだ。
 あれ? どういうこと?
「ふたりとも遅いよ。お店で何かトラブルでもあったの?」
 森の声に奈々はあたふた。
「い、いえ。そんなことは……ないんですけど……遅れてすみませんでした」
 平謝りして顔を上げると、隣にいる工藤を睨む。
「工藤くん、みんな、もう来てるじゃない!」
「おかしいなあ。誰ともすれ違わなかったんだけど」
「結局、工藤くんはみんなより来るのが遅かっただけでしょう」
 言いながら、奈々は背筋が凍りつきそうだった。それよりも、何よりも、あの桐生を待たせてしまったのだ。慌てて桐生の姿を確認すると、座敷の一番奥にいた桐生は、目の前に座っている若い男性と会話をしていたのが見えた。
 よかった。とりあえず、怒ってはいないみたい。
「工藤くんて、しっかりしているのか天然なのか分からないよ」
「ははっ。ほんと、悪い悪い」
 しかし、悪いと言いながらも、ちっとも悪びれていない様子。奈々はあきれながらも空いている席に座った。

「桐生マネージャー、お願いします」
 全員が揃ったところで、ようやく乾杯の音頭。幹事の森に促された桐生が挨拶をするために立ち上がった。
「今日もお疲れ様。そしてオープン準備、オープンセールもご苦労様でした。笠間店長も来てくれたので、あとはスタッフの頑張りで売上が伸ばせるよう期待しています。長々とした挨拶は嫌いなのでこのへんで。では、乾杯!」
 みんなで一斉にグラスを合わせたあと奈々もビールを口に含んだ。
 おいしい! 喉がカラカラだったんだ。
 ひとくち飲んで満足気の奈々。しかし、ふたくち目を飲もうと再びグラスに口をつけようとしたとき、急に上からグラスを取り上げられた。
「佐藤さんは未成年だから酒は駄目だ。おい、森! 佐藤さんにウーロン茶でも頼んでやって」
 見上げると、桐生が無表情で取り上げたグラスを持っている。唖然としていると、グラスを持ったまま桐生は自分の席に戻ってしまった。
「あ、……私のビールが……」
「こういう席だから仕方ないよ」
 奈々の目の前に座っている美樹が言った。
 美樹は応援で来ている他店舗の社員。森とは同期入社だが、短大卒の彼女は森よりも2歳年下。でも、森よりも落ち着いた雰囲気で、まじめなそうな人だ。
「そうですよね。今日は諦めます」
 同情してくれる美樹にぼそっと返事をする。
 すると、隣でそれを聞いていた工藤がグラスを持ちながら言った。
「結構そういうところ、厳しいんだな」
「そうだね。だけど、みんなに迷惑かけられないから」
「どうせ二十歳なんてすぐだよ」
「うん。あと一年。そう言えば工藤くんていくつなの?」
 外で世間話をしていた割には肝心なことを知らなかった。
「俺は二十歳だよ。学年でいえば佐藤さんの一個上」
「高校を卒業してから、ずっとフリーター?」
「まあね。進学も就職もピンとこなくてさ。しばらくはフリーターでいようと思ったんだ。ちなみに前のバイト先はお菓子工場。この俺がだよ」
「嘘!? だけど工藤くんて意外な仕事に就くよね。お菓子工場の次は女の子向けのアパレルショップだなんて」
「そりゃあ、何事も経験だから。それに若いうちだけしかできないからね。こういう仕事は」
 今しかできないこと、それは自分にも言える。自分の将来なんてまったく未知。大学を卒業して他の職業に就いたら、アパレルという仕事もできなくなるだろう。
「工藤くんはここで社員は目指さないの?」
「どうだろう。桐生マネージャーみたいになりたいかと聞かれれば、今のところは違うなとは思ってる」
「なるほどねえ」

 ふと桐生が気になってテーブルの端の方に目をやると、相当飲んでいるようだった。ジョッキのビールはほぼ空になっている。
 そして親密そうに話している相手は確か、他店舗のバイトの人──みんなが『タカヒロさん』と呼んでいた人だ。しかも女慣れしていそうな、軽い感じの人。
「豪快ですね、桐生マネージャーたち」
「あのふたりは普段から飲み仲間で仲がいいの」
 美樹がふたりに視線を向けて言う。
「タイプが違うのに気が合うんですね」
「不思議だよね。でも桐生マネージャーが崇宏(たかひろ)さんを誘ってよく朝まで飲み明かしているみたい」
「ふたりとも、お酒が強そうですもんね」
「すごいらしいよ。オープニングセールの時も朝まで飲んだあとにそのままお店に出勤したんだって。男ってほんと馬鹿だよね」
 しっかり者の美樹があきれ顔で言った。桐生と崇宏のコンビは、スタッフの間では有名らしい。
 それより朝までか……大人の世界だな。私なんて朝帰りすらしたことないよ。
「私は桐生マネージャーのお酒のお伴は務まりそうにありません。まあ、どうせ、誘われないですけど」
「でも気をつけないとね。桐生マネージャーに気に入られたら、体壊しちゃうよ。噂だと、日本酒が一番好きらしくて、やたら勧められるらしいから」
「あはは。肝に銘じておきます」
 そんなふうに桐生たちの話をきっかけで盛り上がり、憂鬱だったはずの席も楽しいものへと変わっていった。

 そしてだいぶ時間が経過した頃。
「ここ、いいかしら?」
 突然、笠間が奈々たちの元へやって来た。
「どうぞ」
 今日が初対面の笠間が奈々の隣に座る。笠間とは仕事中もほとんど会話がなかったため、彼女がどんな人物なのか、いまだ謎であった。
「残念ね。ウーロン茶なんて」
「はい。今日は我慢です。笠間店長はお酒好きなんですか?」
「ん、まあね。基本的にアルコールはなんでも大丈夫な方かな。昔はよく飲み歩いていたしね」
「もしかして旦那様とですか?」
 てっきりそうなのかと思っていたら笠間は意外な答えを返す。
「ううん。別な人。旦那はお酒がほとんど飲めないの」
 そう言ってビールをぐいっと飲み干し、笠間はおかわりを頼んだ。
 本当にいい飲みっぷり。お酒好きなのがよく分かる。
「そういう佐藤さんは、彼氏はいるの?」
 急に直球でこられて動揺しながらも、同じ仕事仲間として距離が縮まるきっかけになればと思い、奈々は笑顔で返した。
「はい。いますよ。遠距離中ですけど」
 すると、その会話がほかのみんなにも聞こえたらしく、その場にいた全員がこっちを向いた。かなりの注目の的。
「えー! 嘘!? 彼氏いたの?」
 一番大声で反応していたのは一番端に座っていた崇宏。彼が興味深そうにこちらを見ていた。意外だとも言いたげな視線を感じる。
 何気に失礼なことを言われたような気がする。
 だけど、そばにいた桐生を見ると、対照的にそんなことを気にする様子もなく、いつの間にかビールから日本酒に切り替えて、それをちびちびと飲んでいた。
 奈々の恋愛話に興味がなさそうにしているのは桐生だけ。
「佐藤さん、可愛いし、彼氏がいてもおかしくないもんね」
 おっとりな森までも会話に割り込んできた。
「森さん。そういうフォローいらないですから」
「そういうつもりじゃないんだけどなあ」
 森が困ったように眉をひそめる。

「つき合ってどれくらいなの?」
 美樹も興味深げに聞いてきた。
「三年です」
 恥ずかしそうに奈々は答えた。
「えぇっ! 純愛じゃない! 佐藤さんて一途なんだあ。すごいですよね、笠間店長?」
「三年はすごいかも。ずいぶん年季入っているわよね」
 今度は笠間が驚いた様子で言った。
「高一の時からなんです。最初はおままごとみたいなつき合いでしたけど」
「でも遠距離恋愛しようと思ったんでしょう。すごいわよ」
「仕方なくですけど。だけどこの先が長いので、不安です」
 そう素直に打ち明ければ……
「そうよねえ」
 笠間はどこか遠くを見るように呟く。
「笠間店長も遠距離恋愛の経験があるんですか?」
「あるわよ。すぐに別れちゃったけど」
「そうだったんですか。やっぱり大変なんですね」
「片方が新しい環境になると、どうしても温度差がでてくるのよね。どちらかの気持ちが変わってしまって気持ちが通じ合わなくなってしまうの。あくまでも私の場合だけど。だから佐藤さんには頑張ってその恋を貫いてほしいわ」
「……はい、ありがとうございます」
 まるで遠距離恋愛はうまくいかないものと言われているよう。
 それとも激励なのかな。素直に受け取っていいのだろうか。
 奈々はもやもやとした気持ちになり、それを紛らわすようにウーロン茶を飲み干した。

「あっ、もうこんな時間!」
 奈々が沈んだ気分でいたら、笠間が腕時計を確認し、急に慌てたように声を上げた。
 それを聞いて森も腕時計を確認する。
「すみません。気づかなくて。二時間過ぎていましたね」
 それから森はみんなに向かって言った。
「みなさん、そろそろ時間なのでこの辺でお開きにしたいと思いますが、今日は笠間店長の激励会も兼ねておりますので、笠間店長から最後にひとこと頂きたいと思います」
 その言葉を受けて笠間が立ち上がった。ふわっと甘い紅茶のようなフレグランスが香る。その香りに導かれるように、奈々は笠間のすらっとしたスタイルに羨望の眼差しを向けた。
「私情でオープンに立ち会えなくて、皆さんにはご迷惑をおかけしました。店長という初めての職務にプレッシャーは感じますが、チームワークのいいスタッフに恵まれているので、私もお店のために精一杯努力したいと思います。今日は私の歓迎会も兼ねた飲み会ということで楽しく過ごせました。ありがとうございます。そしてまた明日から一緒にがんばりましょう」

 こうして飲み会は終了をむかえ、その後、一斉にざわつき、みんなが帰り支度をはじめる。
 だけど奈々はさっきの笠間の言葉が胸に引っかかったまま。自分が遠距離恋愛を選んだことが正しいことではないと言われているような気がしている。
 『温度差』とはなんだろう?
 冷めた温度とそうじゃない温度。笠間はどちらだったのだろうか?
 もしそれを自分に当てはめるのなら、冷めた温度なのは私? それとも……
            




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