4.戸惑いの中で(016)

 
 突然の夜のドライブ。暗闇に無数に浮かぶ対向車のヘッドライトの白い光を受けながら、四人を乗せた車は走行している。
 奈々は奇妙な組み合わせのように思っていた。知らない男の子ふたりに囲まれて、友達は酔っ払って夢の中状態。大丈夫だと確信して車に乗ったが、本当にこのまま素直に彼らに従って大丈夫なのだろうかと思いはじめてもいた。
「心配しなくてもいいよ」
 運転席の彼が言う。
「え?」
「だから、そんな借りてきた猫みたいに固まらなくてもいいってこと。別に怪しくないから、俺」
 彼は奈々を不安にさせないように明るく振る舞った。
「それはわかってるんですけど」
「ほんと、大丈夫だって。俺はともかく、こいつは信頼できる男だよ」
「……はい」
 挙句、会話を聞いていた後部座席の直人にも笑われて、奈々はバツが悪くなり俯くしかなかった。

「起きろ」
「……ん、んっ……?」
 車が弥生のアパートに着くと、直人に起こされた弥生が眠そうにゆっくりと瞬きをして車内を見渡していた。
 だけど、彼を見つけて子供のように目を輝かせる。
「なおとだぁ」
 細い声を出し、そのまま甘えるように直人に抱きついた。
「家、着いたぞ。降りるぞ」
「なおとぁ……」
 だけど、状況を把握できないらしく、動こうとしない。直人は後部座席を覗き込んでいた奈々たちにお手上げだと溜息をつく。
「直人、部屋まで運んでやれよ。ついでに、今日は泊まってけって。そんな状態で彼女をひとりにしたら危ないだろう」
 白状にも見える直人に運転席の彼が強く言うと、直人は小さく動揺を見せた。
「言われなくても、わかってるよ」
「なら、ほら早く」
 急かされた直人は「うるせえ」と少し不機嫌に言って弥生を引きはがすと、彼だけが車を降りた。それからすぐに反対側のドアが開き、そこから弥生を抱き上げる。
「お部屋まで付き添います」
 車から降りた奈々は、開いている後部座席のドアから弥生のバッグを持って直人に歩み寄ったが直人は首を振った。
「それ、よこして」
 奈々はドアを閉めて、仕方なく直人にバッグを渡す。直人はそれを器用に腕に通した。
「弥生のこと、よろしくお願いします。ごめんなさい。私が飲ませ過ぎたばっかりに」
「いや、いいよ。こいつが悪いんだ。弱いくせに。あとで叱っておくよ」
「え」
「嘘。冗談だよ」
 そう言って直人は愛想よく笑う。それから弥生を抱き直すと「じゃあな」と運転席の方へ声をかけた。運転席で右手を挙げるのが見えた。
「おやすみなさい」
 奈々も見上げて言った。
「おやすみ。えっと……」
「あ、奈々です」
「奈々ちゃんも、気をつけて帰れよ」
 そしてアパートへ消えて行くふたり。本当に大丈夫かなと見送っていると、運転席の窓が開いた。
「弥生ちゃんのことは直人に任せておけばいいよ。自分の彼女なんだから、当然だよ」
 奈々の不安を感じとったらしく、安心させるようにやさしく微笑んだ。
「まあ、弥生にとってもそれが一番なんでしょうね」
「そういうこと。それに直人の奴もあんなんだから。酔っ払ったときぐらいしか、弥生ちゃんも本気で甘えられないんだよ、きっと」
「そうなんですか?」
 さっきの、弥生のどこか不安そうな顔が思い出される。直人に抱きついていた弥生は、デレデレというより泣きつくような感じだった。
 弥生は何を悩んでいるのだろうか。ふたりで飲んでいるときも何も言っていなかったので、深刻なのかなと直感的に思った。
「あとはふたりの問題だよ」
「でも……」
「割り込むと、迷惑がられるだけだよ」
「え?」
 達哉は余計なことを言ってしまったと思い、話を逸らそうとバックミラーを動かすふりをする。それから「そろそろ、行こうか」とギアをドライブにした。

 再び走り出した車の中は、よく考えてみれば初対面同士のふたりという現実。奈々は無言のまま、顔を横に向けて窓の外を眺めていた。思わぬ展開にわずかに残されていた酔いも勢いよく醒めつつあって、暗い景色に視線をさまよわせながらきっかけを探す。
「だからさ、そんなに緊張しなくても大丈夫だって。ちゃんと家まで送るから。それとも、もともと無口なの?」
 またしても彼に言われてしまう。しかも笑いながら。
「……すみません」
「謝んなくていいよ。知らない男の車に乗せられて、無防備になれないよな」
「そういう意味じゃないですから。ただちょっと、……」
 もごもごと言い訳みたいに呟きながら、チラリと運転席の方を見る。
「名前、聞いても……」
 それは彼にとって新鮮だった。奈々がそう言った途端、彼はさっきよりも高い声で笑った。
「それっぽっちのことで話せなくなるの? だったら早く聞けばいいのに」
 奈々は癪にさわって、そんなに笑わなくてもと運転席の彼を睨み付ける。けれどハンドルを握る彼はその目元に皺を作り、奈々はそれを見て言い返すことをやめた。憎めないキャラに調子が狂う。
「おもしろいね」
「ちっとも、おもしろくないです」
 奈々は思いっ切り拗ねたように言った。
 そのとき、国道の大きな交差点に差しかかった。赤信号で車が停車すると、彼はおもむろに軽く腰を浮かせてジーンズのポケットから財布を取り出した。そこから一枚のカードを抜き取ると、奈々の方へ差し出す。
「西山さん……さっきの人、直人くんと同じ大学なんですか?」
 それは大学の学生証。都内にある有名私立大学のものだった。
「達哉でいいよ」
「じゃあ、達哉くんで」
「今日は俺の家で勉強がてら直人にノートを写させてやっていたとこ。夏休みのレポートを作るのに必要なのに、直人の奴、ちょくちょく講義をさぼるから」
 赤信号のうちに学生証を返すと、達哉はすばやく財布に入れてジーンズのポケットに戻した。
「そうだったんですか。あの、関係がないのに巻き込んじゃってすみません」
 自分のペースでどんどん弥生にお酒を飲ませたせいであんなことになってしまい、今さらながら反省した。
「いや、ぜんぜん構わないよ。どうせ直人を車で送ってやらなくちゃならなかったし。それよりさっきから他人行儀なしゃべり方やめない? 俺ら、同い年だろう?」
 屈託なく笑うその表情は普通の男の子。自然と奈々も笑みがこぼれた。

「奈々ちゃんも、ひとり暮らしか」
 互いの自己紹介を終えて、達哉は何気ない話題で話をつないだ。驚いたことに、達哉もひとり暮らしをしており、特にその話題で盛り上がった。
「自炊が大変。私、今までほとんどやったことがなかったから」
「でも、ちゃんとやってるんだ。俺なんて外食ばっか。食費、めちゃめちゃかかる」
「達哉くんて、そういうのマメそうなのに」
「俺、結構、ズボラだよ」
「でも見えないよ」
 達哉はよく笑う。ほんわかと彼特有の雰囲気はナチュラルで、直人に受けた印象とは違っていた。
 彼のハンドルさばきも手慣れたもので、助手席のシートで安心して座っていられる。
 途中で立ち寄ったコンビニで飲み物を買って、駐車場でおしゃべりをしながら、奈々は慣れているんだなと漠然と思っていた。
 と、言っても女の子にというのではなく、人に対してという意味。わりと自由なのに調和を乱さないところ。誰とでも打ち解けられて、リーダーシップもあって、穏やかさも持っている。
「もしかして、部活のキャプテンとか生徒会の役員をやってなかった?」
「え、なんで? やってないけど。でも班長はやってた」
 班長と聞いて奈々は、ぽかんとする。それを見た達哉はおかしそうに続けた。
「俺ね、高校のとき寮生活だったの。その寮の班長。東北の田舎の方にあるキリスト教の学校で、平日は朝一で礼拝もあったんだよ」
「全寮制なの?」
「うん。珍しいだろう」
「それにしても、家を出てどうしてミッション系の学校に?」
「教育方針っていうか、そこでしか学べないことがあったから。宗教はたまたまついてきた感じ」
 奈々は感心しながら、達哉の話に聞き入っていた。
 なんて魅力的な人なのだろう。奈々は自分とは価値観が違う生き方をしている達哉を羨望の眼差しで見つめていた。
「達哉くんて、見た目と違うんだね」
「それってどういう意味?」
「普通の人かと思っていたから」
「つまり、俺の第一印象は薄いってこと?」
「ううん。そういう意味じゃなくて、やさしくて、おっとりした印象だったから、そこまでバイタリティがある人だとは思っていなかったの。思っていたより、変わった人だった」
「変わった人? それ、褒めていないよね?」
 さすがの達哉も奈々のびっくり発言に苦笑い。
「違うよ! 褒めてるの。私とは正反対だから。私は、そこまでの冒険心はないし、興味を持っていることもないから。すごいなと思ったの」
 奈々が瞳を輝かせて、熱く語る。
 達哉はそれがうれしくて、熱い眼差しで奈々を見つめていた。
 しかし、車の時計を確認すると、だいぶ時間が経過していることに気づき、達哉は名残惜しい気持ちを隠して「そろそろ出ようか」と車のエンジンをかけた。

 国道の案内板が駅の方向を表示していた。この辺りだと見知った道だ。この先の交差点を曲がると駅へ続く道に入ることができる。その手前の信号で右折すると、確か近道になるはずだ。
 それを伝えると、達哉がウインカーを出す。
「ここら辺なの? なら、ナビお願い」
 車は寂しげな道を進んで行く。この辺りは住宅街なので、どの家も寝静まったあとで、街灯と信号機の光だけが照らされていた。
 そんな道を通り抜け、スムーズにマンションに辿り着いた車がエントランスから少し離れたところに止められて、奈々はシートベルトを外した。
「今日はありがとう。いろんな話ができて得した気分だった」
「ほんと? うれしいよ」
「帰り、気をつけてね。くれぐれもスピードを出し過ぎないように」
「あれ、わかっちゃった?」
「うん。なんとなく。リアシートにモータースポーツ系の雑誌が何冊もあったから」
「すごいね。気づいた子、奈々ちゃんが初めてだ」
 そりゃあ、女の子は車に疎い子も多いだろうからと思ったが、なんだかそれを言うのも次元が低すぎるように思えた。奈々は結局、口に出さないまま、達哉が見守る中、ゆっくりとドアに手を伸ばした。

「待って!」
 引きとめられたのと、その声はほぼ同時だった。右腕をがっしりと達哉に掴まれていた。
 達哉はドリンクホルダーに置いてあった携帯を手にし、少し照れたように奈々を見ている。
「もしよかったら連絡先教えてくれないかな?」
「達哉くん……」
 彼のやわらかく細まった瞳が奈々の心にすんなりと入り込む。奈々はあれこれ考え込むことなく、素直に教えていた。
 奈々にとって上京して初めての男友達。しかし、達哉にとっては友達とは少し違う。それを感じながらも教えてもいいと思ったのは、それ以上に達哉の人間性の魅力に惹かれたから。
 奈々はにっこりと微笑むと、最後にもう一度お礼を言って、今度こそ助手席のドアに手をかけた。「おやすみ」の言葉に見送られ、さわやかな気分で歩き出したのだった。
            




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