4.戸惑いの中で(019)

 
 次の日の午後、奈々は弥生に誘われて買い物に出かけた。
 行き先は駅ビルに併設されているデパート。ファストファッションブランドに比べると、お値段はリーズナブルではないけど。さすが弥生はいいものをきちんと着ているんだなと奈々は感心した。
「もう秋物買うの? まだこんなに暑いのに、秋物と言われてもなあ」
「アパレルの店で働いている人間がなに言ってんのよ。今のうちに買わないと、いいものがなくなっちゃうの」
「そんなものなんだあ」
 頑張って貯めていたバイト代。遠距離恋愛に終止符を打った今は、少しだけ自分のために使える分が増えた。
「それにバーゲンだと、ゆっくり選べないでしょう。衝動買い予防にもなるよ」
「なるほどねえ。なら、私も今年は先取りしてみようかな」
 それに、もうすぐ誕生日。今年はひとりで過ごす覚悟を決めていた奈々だが、せめて自分にプレゼントでもと思い、お財布の入っているバッグを握る手に力をこめた。
 この買い物で、少しでも気が紛れればいい。紛れて欲しい。
 とにかく今は、すべてを忘れたかった。

「いいなあ。弥生は大人っぽくて綺麗だから、さっき買ったコートもきっと似合うね」
 買い物が終わり、休憩がてらに入ったコーヒーショップ。奈々がコーヒーを飲みながら言った。
 いろいろなお店を見てまわり、奈々は弥生に見立ててもらった秋色のカットソーとそれに合うスカートを選んだ。一方、弥生は悩みに悩んだ末、秋物のハーフコートを購入。
「私は逆に奈々がうらやましいよ。可愛い服が似合うから。でも、この秋はイメージチェンジ?」
 どちらかというと奈々はカジュアル派で甘いテイストを好む。だけど今日は普段は買わないような大人っぽい服を選んだ。まるで笠間と張り合うように。
 笠間は目鼻立ちがはっきりとしていて、色白の細身。タイプでいうと綺麗系。彼女は仕事柄、年相応のおしゃれを知っていて、落ち着いた色合いの服でもアクセントのあるデザインやシルエットが綺麗な服を選んでいるので、そのセンスには奈々も一目置いていた。
 だけど今は、笠間に負けたくないという意地が先行している。
「私もそろそろ、こういう服を卒業したいんだ。子供っぽくない?」
 奈々は、着ている服に視線を落とす。
 今日は、ざっくりとした淡い色のコットンワンピ。靴も歩きやすいようにとペタンコバレエシューズ。好きなファッションだけど、色気だったり、知的さだったりするものが足りないような気がしていた。
「そうかなあ。年相応だと思うけど。それに似合う服を着るのが一番だよ」
「でも私って、いまだに高校生に間違われるんだよね。スタイルだって、こんなんだから、せめて服だけでもと思って」
 この気持ちは厄介だ。自分をどんどん追い込んで、卑屈にもさせていく。
「別に今のままだって、十分に綺麗だし可愛いよ。もっと自信持ちなって。あのイケメン達哉くんも、奈々のこと可愛いって言ってたよ」
「もう、またその話……。私は達哉くんとは別に──」
「ねえ? ふたりきりで会ってないの?」
 無理やり達哉の話題に持っていった弥生。しめたと思い、ここぞとばかりに奈々に尋ねた。
 奈々は、以前にもそのことは聞かれたが、そのときと状況は変わっていない。
「ううん。相変わらず。メールだけだよ」
「そっかあ。意外に達哉くん、奥手なんだな」
 弥生が独り言のように言っていたけど。それよりも桐生と笠間の関係が気になっていて達哉どころではなかった。

 陽が傾き、まだ明るさは残っていたけれど、時刻はもうすぐ夕方の6時。夏のじめっとした湿気は相変わらずで、時折、吹く風は生温い感触。さっきまでいたコーヒーショップのひんやりとした空気とは雲泥の差だった。
「どうする? 夕ご飯食べていこうか?」
 弥生が腕時計を眺めながら言った。
「うん。そうだね。お腹空いたし」
 ふたりともひとり暮らしのため即、夕飯を食べて帰ることに決定した。
 夏休みともあってまだまだ通りには多くの人。ふたりは人混みをかきわけながらお店を探す。
 そしてこの間のこともあるし、買い物の荷物もあったのでお酒は控えようと最近オープンしたというビュッフェスタイルのお店に入った。

 茶系と黒で統一されたモダンな店内はちょっぴり高級チック。だけど二千円で食べ放題ということで早い時間帯から店内は混雑していた。
 白いプレート皿にショートパスタやマリネ、それからチキンのハーブソースがけに野菜のトマトソース煮などをのせて食事をはじめる。
 もちろんデザートも食べ放題なので、それだけでうれしくてテンションが上がってしまう。好きなものを少しずつ食べられるのがビュッフェスタイルの醍醐味だ。
「しあわせー」
 奈々がうっとりと言う。笠間のことはひとまず休戦といったところ。
「食べ過ぎないようにしなよ。あとでデザートの攻めるんだから」
「もちろん、分かってるよ。女同士だから、遠慮しないで食べまくるからね」
 奈々はそう言うと、大きめのチキンを口に運んだ。
「でも、ここ、初めて来たけど。雰囲気もいいよね。デートにもってこい」
 優輝と別れたばかりの奈々を思って、直人のことを言いそびれていたという弥生。奈々が元気になったので、ようやく遠慮なく口にすることができた。
「直人くんと来たいんでしょう?」
「ふふっ。まあね。周りを見てると悔しくなっちゃう」
「カップルも多いもんね、このお店」
 弥生は、気が強い方。しかし、人に気を遣うようなところもある。そのやさしさを知っているから、奈々はこうして一番の友達としてつき合っているのだ。
 影で人の言動に怯えたり傷ついたり。そんなところは心配な部分でもあるが、今のところ直人との関係は良好みたいなので安心している。
 直人と弥生は、春にアルバイト先で知り合い、つき合いはじめたのは7月の中旬。ふたりはつき合ってまだ1ヶ月ほどだった。
「今は、ラブラブな時期だね」
「うん。でも時々、不安になるんだよね。女の子の友達がたくさんいるみたいなんだ」
 なんとなく想像できる。愛想のいい直人のこと。大学の女の子たちにだって気軽に声をかけているのだろう。
「女の子の友達がたくさんいても浮気しない人だって大勢いるよ。弥生だって大学の男の子と浮気しようなんて思っていないでしょう。それと同じだよ」
 弥生は、奈々の話を頷きながら聞いていた。それから、少し考え込んだあと、自分を納得させるように明るく答えた。
「そうだよね。直人から告白してくれたんだもん。自信持っていいよね」
 弾けるような笑顔を見せる。
「そうなんだ。へえ、直人くんからね」
 奈々は意味深に笑った。
「おかしい?」
「ううん。別に」
「いいでしょ、直人が私に一目ぼれしたって言うんだもん」
 直人については、奈々も少し軽そうなのが気にかかっていた。でも相手をよく知らないわけだし。ましてや会ったのは一度きり。達哉の友達だから、きっと弥生を泣かせるようなことはしないはず。
 奈々は弥生の幸せそうな笑顔を見て、そう信じることにした。


 食事をすませ、ふたりはお店をあとにした。
「ちょっと食べ過ぎたかも」
 奈々は、お腹をさすりながら言った。
「ケーキ六個はやばいって」
「でも全部ミニサイズだったもん」
「普通に考えて、あの量はおかしいよ」
「太るかなあ」
「太るね」
「じゃあ、歩いて帰る?」
「やだよ。私は電車で帰るから。歩いて帰りたいなら、奈々ひとりでどうぞ」
「冷たいなあ」
 陽は落ちていたが、街灯と店のネオンで街は明るかった。人の多さも相変わらず。さすがに夜ともなるとカップルが多い。
 こんな蒸し暑い夜なのに、肩を寄せ合って歩いている幾人もの恋人同士。別に見るつもりもないけど自然と視界に入ってくるから仕方がない。
 すると、その見るつもりのない光景の中から浮かび上がった二つの影。ほかの恋人同士となんら変わらない一組のカップルが前方からこちらに向かってくる。
 こんな偶然。これは神様のいたずらだろうか。奈々は唾をごくりと飲み込んだ。
 それが桐生と笠間だということを、奈々は一瞬で理解した。大勢の人の中から、なぜかふたりだけがクローズアップされて目に焼きつく。
 しかし、強烈な視線を送る奈々にふたりは気づかない。奈々の数メートル先をふたりは通り過ぎ、薄暗い人混みの中へと再び消えていった。
 この街には、系列の店舗はない。とても仕事の用件とは思えなかった。
 どうしてふたりがこんなところに?
 むかむかとする胸中。
 工藤が言う噂でも自分の妄想でもない。事実が目の前につきつけられて裏切られたような気分になる。
 笠間店長は結婚しているんだよ。それなのに、まさかヨリを戻したの? だとしたら、どうしてあんな誘い方をするの?

 仕事上の、マネージャーとしての誘いなら、最初からそういう態度で接して欲しかった。そう思いながら、奈々は消えていったふたりの行き先を、ぼんやりと見つめていた。
 もう視界から消えているのに。どうしてもあのふたりを目で追いかけようとしている。
「奈々? どうしたの?」
 様子がおかしいと気づいた弥生が、奈々の肩にいたわるように手を置いた。
「うん……ちょっと、知り合いに似ているなと思ったんだけど人違いみたい」
「そんなに似てたの?」
「ううん。よく見たらぜんぜん。暗いからそう思っちゃったのかな」
 奈々は弥生の顔に向き直して、平静を装って答えたが、その顔は必死に涙をこらえている。
 桐生の自分を見つめる熱い瞳を思い出した。
 その瞳であの人を見ないで。そう思いながら脳裏に浮かぶふたりの姿はいつまでも寄り添うままで。
 それでも行こうかと一歩前に踏み出す。けれど、その一歩もふわふわと地面を踏む感覚がないくらい危ういもので、頭の中もどんどん真っ白になっていった。
            




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