5.動き出す恋のベクトル(027)

 
 いよいよ土曜日。達哉たちがほぼ時間通り、朝8時頃に迎えに来た。
「おはよう」と後部座席の弥生と直人に声をかけると、奈々は助手席のドアを閉めた。
 誕生日の夜以来の達哉の車。奈々は複雑な気持ちになりながらも、シートに身体を沈めた。
「久しぶりだね」
 直人に会うのは二度目。奈々は後部座席の直人に「そうだね」と返すと、次に直人は弥生が酔い潰れたときの話を持ち出してきた。
「その話はもういいよう」
 弥生が情けない声を出して、顔を手で覆っている。
「あのときは大変だったんだよ。弥生、私の膝のひざまくらで寝ちゃうんだもん」
「やめてよ、奈々まで。恥ずかしいよ。それにそのことは、謝ったじゃない」
「でもさ、駅前で、かなり目立ってたよな」
 達哉も話に割り込む。
「そうそう。恥ずかしいのは私だよ」
 おもしろくなって、わざとそう言うと、弥生は「みんな、やめてよ」と、なぜか直人をバシバシ叩いている。その姿がいつも大人っぽい彼女と違い、可愛いなと思っていた。

 バーベキューの会場であるキャンプ場は車で1時間くらいの場所。キャンプ場につくと、既に四、五人の人たちが到着しており、仲間同士でたむろしていた。
「よう! 早かったな」
 最初に達哉に声をかけてきたのは野々村という男の子。それから、ほかのみんなも近寄って来て、達哉たちと挨拶を交わす。
 奈々は一歩引いたところから、その様子を眺めていた。なんとなく予想はしていたけど、ふたりとも大学で人気がある。ふたりが到着した途端、その場にいる人たちが注目していた。
 すると、さっきの野々村が、再び達哉に近づいて言った。
「やっと本命ができたのかよ? で、どっちが彼女?」
 完全にからかいモードだ。達哉はそれが気に入らなくて、野々村の首に腕をまわし、ヘッドロックする真似をしながら小声で言う。
「いいか。あのふたりには手を出すなよ。どっちにしても弥生ちゃんは直人の彼女だから」
「なら、あの子が達哉の?」
 野々村が奈々を見た。話声は奈々の耳にも届いていたので、奈々はまともに達哉の顔を見られなくなる。そのことに気づいた達哉は、野々村を放り出して、奈々に駆け寄った。
「ごめんね。あいつの言うことは気にしないでよ」
「うん……」
「でも、逆にそう思ってもらった方がいいのかな?」
「え?」
「だってその方が変なのも寄ってこないと思うし」
「心配しなくても大丈夫だよ。それに嘘ついちゃうと、あとあと大変になると思うよ」
 この場合、無自覚なのは達哉の方だ。達哉が本命の彼女を連れて来たという嘘の情報がほかの女の子たちの耳に入ったら、返って奈々の居心地が悪くなってしまう。
 分かっているのかなと彼を見ながら思っていた。
「でも余計な奴が近づいてきて困ったら、すぐに言ってよ」
「だから心配し過ぎだって」
 そんなやり取りをしている中、ぞろぞろと車が到着し、奈々たちを入れて総勢十三名となった。男の子が七名で女の子が六名。全員、達哉たちと同じ大学の人たち。

「じゃあ、さっそくはじめようか」
 どうやら、リーダーは達哉らしい。彼の仕切りで挨拶もそこそこ、すぐに作業開始となった。
「弥生、行くよ」
「あ、うん」
 男の子たちは火をおこす準備、女の子たちはレンタルしてきた調理器具を洗う役目。少し気おくれしている弥生は不安げに直人を目で追うが、奈々は強引に弥生の腕を組んで、ほかの女の子たちのところに引っ張って行った。
「大丈夫だって。直人くんがいなくても私がいるでしょう」
「うん。なんか慣れなくて。でも奈々がいてくれてよかった」
 これでよし。ひとまず奈々は安心した。それからみんなに混ざり、作業を手伝った。

「ふたりは達哉と直人とはどういう関係なの?」
 しかし、弥生と鉄板を洗っていると、ある女の子に話しかけられた。明らかに達哉か直人を狙っていると分かる挑戦的な尋ね方。恐れていたというか、たぶん来るだろうなという予感はしていたので、奈々はやっぱりなと思ってしまう。
「弥生は直人くんの彼女だけど私は弥生の友達としてついて来ただけだよ」
 この子が直人狙いだと困る。そう思った奈々は弥生の代わりにはっきり言った。するとその女の子は、ほっとしたかのような、やわらかい顔になった。
「よかったあ。達哉の彼女だったらどうしようかと思ってた」
 セミロングの栗色の髪の女の子は美咲(みさき)と名乗った。彼女は笑うと少し幼さが残る女の子。気は強そうだけど裏表がない分、好感はもてた。
「よかったね、弥生」
 奈々は弥生にそっと耳打ちすると、弥生はニンマリと笑顔で返した。

 作業もだいぶ進み、調理に取りかかると、初対面でもそれなりに和んでくる。
「奈々ちゃん。お肉焼けたからお願い」
「はーい」
 達哉に言われて、お皿に盛りつけられた焼き肉をテーブルに運ぶ奈々。達哉はお肉担当。その達哉の周りには常に美咲やほかの女の子が取り巻いていて、大学でも相当モテるんだと見ているだけで分かる。
 弥生も、ほかの子たちと打ち解けて、一緒に焼きそば作りに励んでいた。美咲の本命が達哉だったので、その場がうまくおさまっていた。それを心からよかったと思いながら、お皿をテーブルに置くと直人が呟いた。
「あいつ、相変わらずモテるなあ」
 そう言って、顎で達哉を指した。
「そうみたいだね。女の子たちが常に周りにいるよね」
 奈々は達哉を見ながら苦笑いを浮かべた。
「いいの?」
「何が?」
「放っておいて」
「別にいいんじゃない」
「つき合っているんでしょう?」
「誰が?」
「達哉と奈々ちゃん」
「違うけど」
「はっ? そうなの?」
 直人は目を見開いて驚いていた。
「驚くのはこっち。今日だって弥生に誘われて付いてきただけなんだよ」
 いったい、どうしてそういうことになっているのか、逆に知りたいくらい。達哉が言いふらしているとは思えない。
「なんだ。ふたりが連絡を取り合っているみたいだったから、俺、てっきり……」
 ということは、つまり、直人が勝手に勘違いをしているということ。奈々は、じゃっかん呆れ顔で説明をした。
「達哉くんとはメールをたまにするぐらいだよ」
「でも、あいつ、あんまりメールとかしない奴なんだよな」
「私ともそんなに頻繁にやり取りしているわけじゃないから」
 まだ会って間もないし、友達のような感じでもない達哉とは微妙な関係。告白めいたことは言われたが、デートに誘われたことはない。 ただ、メールでのやり取りがあったので、だいぶ親しい関係にはなった。
「じゃあさ、俺とも交換しようよ」
 突然、直人が携帯を取り出した。
「アドレスを?」
 当然、弥生の顔が浮かんだ。軽く言われたけど、彼女がいないときにそんなことをしていいものか。それに、弥生の彼氏である直人とメールのやり取りをするのは変だと思う。
「どうかした?」
 躊躇していると直人があっけらかんとした声で様子をうかがってくる。だから余計に、困ってしまった。
 断るのもどうなんだろう。意識していると思われたくもない。それに携帯を目の前に差し出されたら逃げ場がない。
「……うん、いいよ」
 この展開に違和感を覚えたけど、ここで断って雰囲気が壊れるのも嫌だったので仕方なく直人に従った。
 きっと社交辞令みたいなものだ。それに、友達の彼氏。これからも会う機会があるかもしれないので仲良くしなきゃいけない。

 こうして、気がかりなことがありながらも、バーベキューは無事に終わろうとしていた。
 今日は、日帰り。誰でも気軽に参加できるようにと、そうしたのだそうだ。そのため食事をすませると、さっそく後片づけを開始。
「7時までに返さないと一泊分の料金になっちゃうんだよ」
 美咲によると、レンタル屋さんで借りてきたアウトドア用品は時間までに返却しないと予算オーバーになってしまうらしい。だから、みんな慌ただしくしているのだ。達哉も手際よく炭を処理している。
「みんな慣れてるね」
「こういうのが好きな人たちばかりだから。前にもみんなで、ここでバーベキューしたんだよ」
「仲がいいんだね」
 奈々が美咲にそう言うと「みんな同じ学部だからね」という返事。
 達哉たちの学部は農学部。女の子の人数は少ないらしいが仲間同士の結束は固い印象だ。
「いいなあ。楽しそうだね。私、サークルすら入っていないんだ。ひとり暮らしだから、その分、バイトを優先させようと思って」
「またやると思うから参加しなよ。直人に言っておくから」
 弥生の友達として来ているから、当然、そうなる。
「うん、そうだね。ねえ、弥生も一緒に参加しようね」
 奈々は隣にいる弥生に話しかけるが、なぜか沈んだ雰囲気で寂しそうに頷くだけ。
「どうかした?」
「ううん。別に」
 バーベキューの後半、奈々が話しかけても、弥生はずっと元気がなかった。ほかのみんなと楽しそうにしていたのも最初だけで、すっかりおとなしくなってしまった。
「疲れた? でも、あとは帰るだけだから」
「……うん」

 そのうち直人が車に乗るようにと呼びに来たけど、テンションは変わらずに、弥生は黙って直人のあとを付いて行った。
 そんな様子が気になりながらも、疲れただけなのかなと思い、奈々もあとを追おうとすると……
「私も達哉の車に乗りたかったなあ」
 美咲がほっぺたを膨らませている。
「ごめんね。私が来ちゃったからだよね」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ。どうせ、分かってるんだ。達哉が私に気がないことくらい」
 悲しそうに瞳を伏せる美咲。奈々も部外者ではないので、彼女の立場を思い、苦しくなる。
 恋愛は素敵なことだけど、時に難しくてもどかしい。恋する人の交わらない気持ちが切ない。それは、つい最近までの自分。相手と結ばれることは奇跡みたいなもの。だから、大切にしたいと思う。その関係も相手のことも。


 帰りも行きと同じ座席。しかし、その間もずっと弥生は口数が少ないまま。
 本当にどうしちゃったんだろう?
 マンションに着いても弥生の様子は相変わらずだった。とうとう、話しかけても、返事すらしてもらえない状態に。
「じゃあね、奈々ちゃん」
「また、遊ぼうな」
「うん。今日はありがとう。弥生も、またね」
「……」
「ごめんな。こいつ、疲れているみたいで」
 すかさず直人がフォローする。直人も弥生の機嫌がどうして悪いのか、分からずにいた。
「弥生ちゃん、大丈夫? もしかして車酔いしちゃった?」
 達哉も気を遣うが、弥生の反応は鈍い。
「弥生? どうかしたの?」
 奈々は心配になって尋ねると、ようやく口を開いた。
「ちょっと疲れただけ。一晩ゆっくり寝れば大丈夫……」
 結局、最後まで弥生の様子はおかしいままだった。
「そうだよね。気疲れしちゃったよね」
 弥生は人見知りをする子。初対面の人がたくさんいたので、よっぽど疲れたのかなと、このときはそう思っていた。


 みんなと別れて部屋に戻った奈々は、さっそく桐生にメールをしようと携帯を開く。もしかして、心配しているかなという淡い期待を抱く。それは、いつもとは逆の立場。そのため、ほんの少しの優越感を感じながら、今帰って来たという旨のメール送ると、びっくりするほどの速さで返信がきた。
 いつもこれくらい反応が早いといいのに。たかだかメールごときで自分ばかり、やきもきしている。それでも、やはり、うれしさの方が勝るというもので【了解】という、たったそれだけの文字にひとり満足するのだった。
            




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