6.震える瞳(034)

 
 桐生にベッドルームに運ばれ、冷んやりとしたベッドの上に寝かされる。奈々はバスタオルを剥ぎ取られると、強く抱き締められた。
「この間は一緒にいてやれなくて悪かった。仕事が忙しくて思うように時間が取れないから、寂しい思いをさせていると思う」
「私も。せっかく久しぶりに会えたのにごめんなさい。でもあれは不満じゃなくて、単なるヤキモチ。仕事も大切なことはわかっているはずなのに……」
「ヤキモチか……」
「何か変なこと言いました?」
「いや。ヤキモチなら俺の方がさせられっぱなしだと思って」
「あ、……そうですよね。でもあれは……」
「もういいよ。ちゃんと分かっているから」
 桐生はそう言うと、身体を大きく移動させて、奈々の足首を持ち上げた。爪先から肌を舐め上げられる感触は鳥肌が立つほどの刺激で、奈々は思わず声を上げた。
 けれど、抑えられない声に一番びっくりしているのは奈々自身。続けて徐々に身体を上っていく桐生の髪が膝から太腿にかけて触れて、艶めかしい吐息も洩れた。
「今日の昼、崇宏と何してた?」
 奈々の内腿の間から桐生が顔を上げて尋ねる。
「やめて……こんなときに」
「こんなときじゃないと白状しないだろう?」
「白状するもなにも……何にもないです。……ただ、お昼ごはんを食べただけですから」
「どうせ口説かれたんだろう?」
 片膝を立てた方のやわらかい内腿に、桐生はソフトに歯を立てて、嫉妬まじりに攻めながら、さらに唾液をたっぷりと含ませた舌を白い肌に這わせる。
「んっ、やぁっ……」
「どうなんだよ?」
「それはないです……絶対に……あぁ……っ」
 そして奈々の答えに満足した桐生は、今度はゆっくりと攻めたてて、その欲望の行方は中心部分へ。足の付け根に辿り着き、蜜を堪能したあとに、小さな蕾を舌で突いて弄べば、期待していた通りの声が聞こえてきて、彼の熱も高まっていった。
 その熱い情熱を保ったまま背中まで愛撫をほどこすが、途中で耐えきれなくなって、後ろから覆いかぶさるように胸を包み、強く揉みながら桐生は身体を深く沈めていった。腰を動かしながら探り当てたそこに狙いを定めると、奈々の嬌声が部屋中に響いた。

 どうして人の欲は尽きないのだろう。
 衰えを知らない桐生のせいで、奈々は何度も意識が飛びそうになり、それを何度も呼び戻しながら、今もこうして抱かれ続けていた。
「はぁっ、もう……限界……」
 息を切らした奈々は、このとき、すでに二回ほど達したあと。それでも失われない桐生の男としての欲望に、自分がおかしくなるんじゃないかというほどの絶頂が再び訪れようとしていた。
「んっ……やだぁ」
 涙まじりの声に、桐生は一瞬、何事かと思う。
「つらい?」
 背後から桐生が尋ねる。
「そうじゃ……はぁ……なくて──」
 揺るぎない愛が存在しているのに、時々ふっと訪れる不安と寂しさはなんなのだろうと、奈々は高揚する意識の片隅で考えていた。身体は満たされているのに、それでも何かが足りないと感じている。
 そんな彼女の心の隙間を桐生は感じ取り、もう一度、尋ねた。
「どうして欲しい?」
「……顔」
「顔?」
「顔が見えないと……イヤなの……」
 最後を迎えるときは、その瞳の中がいい。恥ずかしいけど、見つめ合いながら彼にもその瞬間を迎えて欲しいから。
 それを聞いて桐生は奈々を正面に向かせると、彼女の指に自分の指を絡める。そのまま唇を重ねて、ありったけの愛情を注ぎ込んだ。
 一緒にいると求めすぎる自分が怖くなる。だが、桐生の欲望はおさまる気配は今のところない。奈々の熱くうごめく襞(ひだ)の合間をぬって一番奥を目指した。
「あっ……んっ」
「……奈々……」
「あ、もっと……呼んで……名前」
 ほとばしる汗とたくましい筋肉。男らしい身体に抱かれながら感じる下半身の生々しい突き上げ。
 どんどんと昇り詰めていく奈々は無意識に呟いていた。愉悦によって薄れていく理性の意識の中で聞こえてくる桐生の切ない声が、快感の渦の中にいる奈々の唯一頼れる道しるべとなっていた。
 ひとりにしないで、お願い。奈々もまた、何度も堕ちていく自分を怖いと感じていた。
 だから、ずっと抱き締めていて。離さないで、一緒に快感の先へ連れて行って欲しい。
「奈々……」
「ああっ……いっちゃう……」
 子宮が収縮するような感覚。そして堕ちた瞬間、奥で放たれた欲望。奈々は桐生の背中をきつく抱き、その熱いものをしっかりと受け止めた。
「──き」
「ん?」
 声が小さすぎて聞こえなかった桐生は聞き返す。
「好きなの。どうしようもないくらい好き──」
 奈々が呟いたその刹那──
「ぁんっ」
 桐生は奈々の唇を塞いでいた。たった今、終焉を迎えたばかりだというのに熱いキスを落とす。まだつながったままの状態で、その時間は長く続いた。

 そしてようやく……
「くるし……ぃ」
 奈々はキスで塞がれていた唇を自ら拒んで解放すると、大きく何度も深呼吸した。だんだんと酸素が体中を巡り、覚醒していく。汗で濡れたシーツの冷たさも、体の火照りを和らげてくれていた。
 激し過ぎるキスのせいで余韻が遮断され、すっかり理性が戻ってしまった。
「死ぬかと思いました」
「大袈裟に言うな」
「本当ですよ。そういうキス、……あんまり慣れていないんです」
 恥ずかしそうな小さな声で奈々が言う。
 もちろん元彼の優輝とはキスもセックスも経験済だが、ここまでのものではなかった。桐生のそれは言うならば激しくて深い。全力で抱かれてしまうと、体力が追いつかない。
 テクニックの卑猥さも、それまで経験したことのないものだし、その最中はどんなに恥ずかしいことも拒むことは許されなくて、奈々は桐生の欲望のままに、抱かれるのだった。
 それでも、身体はそれを悦んでいる。そんなふうに思えるのは、桐生だから。そして、これほどまでに何もかも満たしてくれる理由のひとつには、今まで積み上げてきた男としての豊富な経験があるのかもしれない。
「お前が慣れていたらそれも怖いけどな」
「でも桐生マネージャーばかり、ずるいです」
「何がずるい?」
「その、人数とか経験とか……」
「なあ? お互い好きだったら過去は関係ないだろう?」
 きっと、いまだに笠間のことが気がかりなのだろうと思った桐生。思いっきり抱いても拭えない不安を、どうすれば取り除かせることができるのだろう。
 だが過去は過去でも桐生の場合はその相手がすぐ近くに存在し、しかも過去の女性が意味ありげなことを言って仕掛けてくるのだから、奈々が不安がるのは無理もないのだが。
「頭では分かっているんです。でも気になって仕方ないんです。おかしいのかな? こんな女、面倒臭いですか?」
「そういう意味じゃねえよ。俺だって同じだよ。お前が前の男のことで悩んでいるのを見てきたんだ。そういうのを思い出すと腹が立つよ」
「本当? 同じ気持ちなの?」
 涙目で見上げる奈々。それが分かっただけでも心が少し救われる。
「悪いけど、お前が思っている以上に、俺はお前が好きだよ。だから少しは分かれよ、俺の気持ち」


 ◇◆◇


 気づくと空がすっかり明るくなっていた。
 奈々は隣でぐっすりと眠っている桐生の寝顔を初めて見て、顔をほころばせていた。
 閉じた瞳だと、まつ毛が長いのがよく分かる。桐生はすっかり気を許したように静かに呼吸をして、互いに向き合う体勢となって奈々の身体を抱き寄せていた。
 昨夜は他愛もない話をベッドの中で長い間していたように思う。だが、途中から奈々の記憶がない。どちらが先に眠ってしまったのかと考えていた奈々は、たぶんそれは自分なのだと思った。でも、先に起きた特権で、こんな無防備な表情を見ることができた。
「ラッキーだったな」
 奈々は、すぐ目の前にある桐生の寝顔に微笑んだ。
            




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