8.超えてしまった友達の境界線 (025)

 

「二次会行く人?」
 向こうで男の子がみんなを誘っていた。私は遠巻きにそれを見ている。その間、壱也はみんなの代表でお店で会計をしていた。
 それから会計を終えた壱也がお店から出て来ると、それを見つけて駆け寄るエリカちゃん。頬をほんのりと朱色に染めて壱也に楽しそうに話しかけていた。
「壱也さんも二次会に行きますよね?」
「エリカちゃんも二次会行くの?」
 ふたりの会話をばっちり盗み聞きしている私。こういうところ、自分でもキタナイなと思う。しかも会話の中の『エリカちゃんも』の『も』に微妙に反応していた。
 なによ、壱也の奴。やっぱり二次会に行くんじゃない。さっきの言葉は何だったのかと軽く壱也を睨んだけど、こちらに気づいていないようで……もういいやと思い、メグに声をかけ帰ることにした。
「じゃあ、私はここで」
「ほんとに行かないの? あの女、壱也のことちゃっかり誘ってるよ」
 メグは私と壱也をくっつけたがっている。彼女に言わせると私と壱也の関係はもどかしいらしく、見ていられないとやたら私をけしかけるのだ。
 そういうんじゃないのに。いくら言ってもメグは納得してくれなくて、今日もエリカちゃんからひんしゅくを買ってしまった。
「いいの、いいの。壱也がエリカちゃんと二次会に行きたいなら行けばいいの。私は関係ないから」
「もったいないなあ。ふたりはお似合いなのに。それに明日香だって甘えられる男ができれば今よりも人生楽しくなると思うよ」

 人生楽しく、かあ。そんなに私って薄幸に見えるのかな。やっぱり大勢の中だと浮いているのかな。
 みんなが盛り上がったまま連れだってカラオケへと繰り出したのを見届けたあと、私はそんなことを考えながら繁華街をひとり、駅に向かう。
 メグが言いたいのは壱也のようにフランクで人づき合いの上手な人が私には必要ということなのだろう。魅力がないと言われているみたいで、軽く落ち込んだ。
 玲はそんな私のどこがよかったのだろう。初めて会ったその日に私たちは惹かれ合ったけど、よく考えたら玲は私のなにが気に入って誘いをかけてきたのかを聞いたことがなかった。
 壱也だってそう。どうして私なんかと仲良くしてくれるのだろうか。エリカちゃんのような可愛い女の子がいつでも寄ってくるのに、私に構っていたらうまくいく恋も駄目になることもあるのではないか。
 だとしたら、今日、私が二次会に参加しなかったのは正解だ。壱也は迷惑そうに振る舞っていたけどエリカちゃんとつき合えばもしかするとうまくいくかもしれない。
 今もあのふたりは一緒にいる。たぶん今頃、エリカちゃんはにっこりと壱也に寄り添っていることだろう。きっと、これでよかったのだ。

 1月の下旬にも関わらず新年会シーズンはまだ続いていて酔っぱらいのサラリーマンも多かった。私はそういった人たちにぶつからないよう慎重に足を進めていた。身体の火照りも幾分冷め、駅までもうすぐの距離。でもちょうど居酒屋から出てきた団体客に出くわし、私はその団体の波に飲まれてしまった。
「すみません……」
 そこを通り過ぎようと必死に前に進むけど大きな男の人の身体が邪魔してなかなか進めない。しかもみんな酔っているから避けてくれない。
「ねえねえ、お姉さんひとり?」
 その時、団体客の中の若いサラリーマンに声をかけられた。
 冗談じゃない。こんな酔っぱらいにいちいちまともに答えていられない。それでもなんとか足早に通り過ぎようとして、そのサラリーマンを無視して前へ進んだ。
 だけど、ふいにそのサラリーマンに腕を掴まれてしまった。要するに絡まれてしまったのだ。

「放して下さい!」
 掴まれた腕を振りほどこうとするけどそれもできない。相手は酔っ払っているのに掴まれた腕の力は強かった。
「お姉さん、超、俺のタイプ。これから一緒にどっか行かない?」
 うわっ、お酒臭い。もう、ついてないよ。絡まれるなんて初めてでどうやって逃げたらいいのか分からない。
「すみません、もう帰るんで」
「なんでぇ!? 夜はこれからだよ。ちょっとだけでいいから行こうよ」
「あの、放して下さい」
 一向に放してくれない腕にどうしよう、そう思った時……

「すみません、こいつ俺のツレなんで」
「……壱也?」
 あり得ないタイミングの良さで救世主が現れた。鋭い目つきに加えて、その低い声は私から見てもインパクト大で少し怖い。睨まれたサラリーマンはじゃっかん怯えながらあっさりと私の腕を放してくれた。
「な、なんだよ。男連れだったのか。だったら最初からそう言ってくれればいいのになあ」
 サラリーマンは引きつりながら言った。
「うっせーんだよ。いいからさっさと向こう行けよ。こっちはこれでも気を抑えて遠慮してやってんだよ」
 凄みをきかせて壱也が言うものだからサラリーマンは完全に怯えきってしまった。
「あ、あの……」
 なにも言い返せない様子。
「何度も言わせんな。早く失せろよ!」
「は、はい……し、失礼しますっ」
 そして、とうとう壱也の言葉に愛想笑いを浮かべながら、そのサラリーマンはすごすごと夜の街に消えて行った。

「大丈夫か? 変なことされなかったか? ケガはないみたいだな」
 急に表情が穏やかになった壱也に黙って頷いた。助けられたことはうれしかったけど、なによりそのギャップに茫然とする。普段見せない壱也の意外な一面を見てしまった。
「送るって言っただろ。急にいなくなるからすげぇ探したよ」
「……ごめん」
「焦って走りまくったら今になって酔いがまわってくるし、最悪だよ。それにしても先に行っちまうなんて、ほんと、冷たい女」
 さらに突っ立ったままの私に言いたいことをぶちまけたかと思うと、急に私の手を引いて歩き出す。一歩後ろを歩いていた私は繋がれたその手が不自然に感じてしょうがない。その握られている力は強くて、私が力を抜いても解かれることはなかった。
 この意味が無性に気になり、そして思うのは、このままでいいのだろうかということ。

「あの、これって?」
 考えた末、思いきって訊いてみた。
「なんだよ?」
 立ち止まりこちらを睨む壱也。早く歩けと急かすようにわざと瞳を細める。その顔もまたそれなりに格好いいから、ちょっとだけ癪にさわる。
 私は握られている方の手を軽く持ち上げた。
「手……」
「あっ、悪りぃ」
 手を繋いだことは無意識だったようで、慌てて手を離しバツの悪そうな顔をする。
「別に、いいんだけど」
 私も恥ずかしくて、そっけなく言葉を返してしまった。
「ほら、行くぞ」
 そして照れ隠しなのか、くるり向きを変え、私を置いたまま再び歩き出す壱也。
「待ってよ」
 私も慌ててあとを追う。再び酔っ払いに絡まれないように今度は隣に並んだ。
 外は、今日も冷たく乾いた風が吹いていて、冬の夜がさらに二人の距離を縮めた。

 駅に着きホームで電車を待ちながら気になっていたこと訊ねた。さっき二次会のカラオケを必死に誘っていたエリカちゃん。きっと今ごろ……
「あの子は、いいの?」
「他の奴に預けてきた。俺は最初から行く気なかったし」
「意外に冷たいんだね」
 以前の壱也からは考えられないこと。女の子の誘いを断るなんて。
「おいおい、明日香には言って欲しくないセリフだよ。俺がどんだけお前のために尽くしてきたと思ってんだよ」
「はい、そうでした……」
 そこへちょうど電車が滑り込んできた。轟音が鳴り響き、おとなしく扉が開くのを待った。
 電車は思ったより混んでいた。人の波にのまれながらなんとか乗り込んだのはいいけどラッシュの経験がほとんどない私はいささかこの混雑に戸惑ってしまう。そこへグイっと手首を掴まれ……
「危なっかしい奴……」
 ひとり分のスペースにすっぽりと納まらせてもらった。

 目の前には壱也の胸。少々、手荒くあしらわれても納まった場所は安堵の空間。少し高鳴る胸が電車の騒音とともにさらに大きくうなった。
 ガタっと電車が揺れる。踏ん張っていたつもりなのに体勢が崩れかけ……瞬間、身体がその腕でさりげなく支えられる。倒れないように他の乗客から守ってくれた。それが無言で当り前のように行われるから私も黙ってそれを受け入れた。
 そんな行為は壱也が女の子になら誰にでもしてきた行為なのかは知る由もないけど、少なくとも私たちの以前の関係では有り得なかった行為。
 調子が狂う。壱也に女の子扱いされるのは慣れていないよ。急に意識されたこの衝動は俗に言う“友達以上”というものなのだろうか。
 窓に映る自分の姿も見ることもできないまま乗客が少なくなるのをじっと待つ。次の駅ではたぶん乗客の大半は降りるはず。それまでのものだと思っていた。

 駅に着き、ドアが開くと予想通り一斉に乗客が外へ流れた。開いたドアからは冷たい風と数人の乗客。閑散とした車内はもう十分距離を保てるほどの余裕が生まれていた。
「あの、壱也?」
 顔を上げて訊ねる。壱也の手はまだ私の腰に添えられたままだ。
「お前、結構飲んでたから」
 ただそう一言だけ告げられてからは会話の糸口が見つからなくて、降りる駅までの間、揺れる身体を壱也に預けるしかなかった。
 ほんの数駅、十数分の時間。周りにいる乗客たちも終始無言で、聞こえてくるのは電車のジョイト音と、車体が風を切るような音。そして駅案内のアナウンス。いつものシチュエーションが長い長い時間に感じた。

 そして到着した最寄り駅。
「行くぞ」
「うん」
 電車を降りると改札を抜けてマンションまでの道のりを並んで歩く。
「さっきはありがと」
「ん?」
「酔っぱらいから助けてくれて」
「ああ。俺も悪かったし」
「なんで? 壱也は悪くないよ」
「送るって言ってたのに抜け出すタイミングが大変だったんだ」
 エリカちゃんにつきまとわれていたもんね。それは私も知っていたし、仕方がないこと。それに私もそのことにイラッときて黙って帰ってしまったから。
「彼女、壱也のことが好きなんだね」
「エリカちゃんのこと? まあ、あれだけ露骨だとバレバレだな」
「そうだね。そういえば私、メグにエリカちゃんと昔の私が似ているって言われた」
「あ、確かに似てるかも。八方美人に振舞っても、どこか薄っぺらいところ」
「うっ……やっぱり……」

 昔の私は、そんな感じだったんだ。嫌な女。
 でも彼女は私とは少し違う。少し自己中ぽいところのある彼女だけど、それは壱也を好きだから。壱也に対してだけの特別な振る舞い。他の男の子には決して気のある素振りを見せることはなかった。

「そんなに男の子に媚びてた?」
「もしかして自覚なしだったのか?」
「うん、はっきりとした自覚はない」
「俺以外の男にはあんなんだったけど」
 昔から壱也には恋愛感情を抱かなかった。初めて会った時から女の子との噂が絶えなかったから自然と壱也は恋愛対象から外れていた。
「だからさ……」
 もうすぐ私のマンションの前という所で足を止め、壱也が言いかけた。
「なに?」
「俺にはまったく興味がないんだなと思って最初から諦めてた」
 一歩後ろの壱也に視線を移すと私をじっと見つめている。その瞳を見て動けずに固まってしまった。
「ちょっと、……からかうのはやめてよ」
 儚く崩れ去ろうとするのは私たちの中で築き上げてきた友情に似たなにか。特別なものだと思っていたけど、いざ蓋を開けてみるとこんなにも脆いものだったなんて。
 戻れるなら、戻りたい。いや、戻らなきゃいけない。私と壱也は決して男と女になってはいけない。こんな私なんて……

「初めて会った時から、ずっと好きだった。明日香を想っていた期間は玲さんよりも長いから」

 直球で響いた声が大きく激しく体の中を駆け巡る。それは怖いくらいに強烈で二人の関係が壊れてしまうような気がしてならない。
 大切にしてきたこの関係をできればこの先もずっと守りたかったと思っていた。
            


 

 
 
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