8.超えてしまった友達の境界線 (024)

 

【1月】Asuka[大学3年]


「今日、行こうぜ」
「いいよ」
 大学のキャンパスでいつものように約束する。玲と別れて一ヶ月ほど経過していたが落ち込み気味の私を壱也は前にも増して飲みに誘ってくれるようになった。

 最近は『イベント』という名の合コンは開催していないらしい。
 周囲の人たちからも落ち着いた、真面目になったと評判の壱也。さんざん遊び呆けてきたのを見てきた私から見たらやっとという感じだけど。
 だけど最近はそのおかげで壱也と私がつき合っているという噂が再び飛び出しはじめ、一緒にいると視線が気になるように……

 今日は特にそれを強く感じる。
 あれから私は居酒屋に来ていた。今日はいつものメンバーの飲み会。十人程度の集まりなのだが視線の原因は仲間のうちのひとりが連れてきた一年の佐久間エリカちゃん。
 目もぱっちりしてまつ毛もキュンと上がっていてとてもかわいらしい女の子だ。小柄で色も白くていかにも男受けしそうなタイプ。
 彼女は壱也目当てで飲み会に参加しているのは見え見えだった。最近、なにかにつけて壱也にべたべたしてきて、よくつきまとっているのを目にしていた。
「はぁ……」
 無意識に出る溜め息。あの子、苦手なんだよね。

 お店の奥の方に一番仲の良いメグを見つけた。メグも私に気づいてくれた。
「明日香こっち」
「ごめん、遅れて」
 みんな勢揃いの席につく。今日のお店は誰のチョイスなのかアジアンダイニングのオシャレなお店。テーブル席のためなんとなく窮屈。
 離れたところにいる壱也の隣にエリカちゃんの姿が見えた。胸元のあいた薄いピンクのアンサンブルに白のスカート。冬だというのにさわやかな装いで気合いが伝わってくる。
 私はというといつものメンバーということもありジーンズに、特に凝ったデザインでもない着古したカットソーという色気ゼロ、気合いナシの格好。別に合コンじゃないんだし、おしゃれする必要なんてないんだからと思いながらもしっかりとエリカちゃんを意識してしまっていた。
 そして壱也はそのエリカちゃんに普段、私に見せないようなよそいきの笑顔を満開にしていた。
 きっとあれは合コン仕様だ。でもあの様子だと特に嫌がっている感じではない。むしろニヤけているような気がする。しかも女の子の扱いが得意な壱也が、彼女の気持ちに気づいていないはずはない。
 なによ、デレデレしちゃって。

「どうしたの、明日香。口数少なくない?」
 メグがビールを飲み干して言う。
 メグと知り合ったのは大学に入学して早々だけど仲良くなったのはここ一年ほどのこと。彼女はさばさばとした大雑把な女の子だがそんな性格が私にはしっくりきて大学の友達の中では一番仲良しといってもよい。
 ただ、さばさばしすぎてたまに返答に困ることも。
「佐久間エリカになんて負けてらんないでしょ。ほら景気づけにどんどん飲みなよ」
 テーブルの前に置かれた私のビールを目の前に差し出され、飲め、とけしかけられた。普段から男前のメグはアルコールが入るとそれがパワーアップするため酔っぱらったメグには誰も敵わない。
 だからこういうのはいつものことなんだよね。
 それでも正反対の性格だからこそウマが合うというもので、メグといると気が重い精神状態の時でも気分がスカッと晴れる。
「飲むよ。言われなくとも飲みますよ」
 言われるがままにビールを口に含んだ。

「あたし、佐久間エリカ、きらーい」
 突然、メグが言い出した。
「ちょっと、メグ!」
 それは露骨すぎるって。
 私は慌ててメグを制止させようとした。だけど私の心配をよそに盛り上がっているその中ではメグの言葉は笑い声にかき消され、テーブルの向こう側のエリカちゃんには届いていないみたいだった。
 だとしても……
「声が大きいよ」
 こういう発言は場をヒヤっとさせる。だけどメグはさらに驚く発言をした。
「昔の明日香に似てるよね」
「はっ!? それどういう意味よ?」
 どこが似ているの!? しかも、今、嫌いと公言した相手だよ!
「どこかお高くとまっていて、それから男受けを狙っているところがそっくり」
「私のこと、そんなふうに思ってたの? いくらなんでもちょっと言い過ぎでしょ。友達だと思っていたのに」
 この裏切り者!
 当然、私は不貞腐れる。
 だけどメグは私の顔を見てニヤっとした。そして、でもね、と話を続けた。
「だんだんと明日香は変わっていったんだよね。なんていうか、まるくなったっていうか、自分を持っているっていうか。とにかく可愛くなった」
 性格がね、とつけ加えられたが悪い気はしない。むしろ冷めた女だと壱也にチクリチクリ言われていたのが気に食わなかったので、人としてまともになれたような気がした。
「そ、そうかな……?」
「なにかあったでしょ?」
 私の顔を覗き込み、突っ込んでくるメグを右手を振って否定した。
「ないってば」
「嘘だあ。でも、あたし、今の明日香の方が好きだよ。自然体でいいと思う」

 大雑把なのに鋭いメグは侮れない。確かに以前の私はメグの言う通りだった。人とつき合うことは苦手だったから、いつも防御線を張り自分の身を守っていた。それがファッションやメイク。流行りのものをひと通り真似をしたり、時には自分を偽りその場を取り繕うためだけに壱也以外の男の子に媚びたりもした。きっと女の子に嫌われる典型的なタイプだったと思う。
 玲とつき合い始めたのは一年半前で、メグと仲良くなったのも一年と少し前。玲とつき合っていた当時、彼に影響を受けていると感じていた。ありのままの私を可愛いと言ってくれた玲は、それまでの私の中にあった意地やプライドを溶かしてくれたように思う。
 メグが今の私の方が好きと思ってくれるのなら、私は良い意味で変われたということなのかな? なら、それは全部玲と出会ったおかげ。許されない恋だったけど私にとっては意味のある出会いだったんだ。

 だけどもちろん、そんなのは独りよがりの考えで、今の玲がどんな生活を送っているのかが気掛かりだった。
 玲はちゃんと家庭の中におさまることができたのかな? 奥さんと子供を愛せているのかな? ちゃんと、幸せを掴んでいるのかな?
 幸せなら、それでいい。玲が家族と幸せに暮らしていることが、今の私の願い。

「ちょっとトイレ行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
 メグが席を立ち、私はひとり残りのビールを飲んでいた。
 かなり時間も経過し、酔いがまわってきている。このビールもすでに三杯目。もともと量はそんなに飲めないので飲み疲れてきたところだった。
 時間を確認しながら、そろそろお開きにしてくれないかなあと思っているとメグではない声が私に向けられた。
「次、なに飲む?」
 突然、空いたメグの席に座ってきてグラスを持って私に話しかけてくるのは、さっきまでエリカちゃんの隣でニヤケ顔していた壱也。
「やめとく。かなり飲んだし」
「もうギブなのかよ。つまんねえなあ」
 グラス片手に小馬鹿にしたように構ってくる壱也は少しご機嫌なようだった。
「それより、いいの?」
「なにが?」
 なにがってそんなの決まっているじゃない。さっきから痛いほど感じる視線は壱也がいたあの席からだよ。
 エリカちゃんが私を凝視している。別に私のせいじゃないのに注がれる視線は私に一点集中。
「エリカちゃんだよ」
「ああ。あの子ね。いい加減話合わせるのも疲れたし」
 うれしそうに見えたのはやっぱり作り笑顔だったのか。
「でもあの子、可愛いよね」
「そうなんだけど。でも、違うんだよな」

 最終的に苦笑いの壱也。よほど疲れたのかな。
 誰でもいいというわけでもないらしい。今までの歴代のカノジョにはそれなりのこだわりポイントでもあったのだろうかと考えているとメグがトイレから戻ってきた。
 あっ、と思ったけどメグは私に目配せをしてテーブルに置いてあった自分のグラスを手に取った。
「どうぞどうぞ。あたしはあっちに移動しまあす!」
 壱也が立ちあがる隙もないまま、メグは別な席の方に移動して無理矢理割り込んでいた。そこから私に送られるのはメグの意味深な笑み。そしてメグに追い出された男の子はメグに促されるままエリカちゃんの隣へ。してやったりのメグの顔を見てその企みを理解した。
 エリカちゃんは、さっそく隣に座ってきた男の子に持ち前の笑顔を向けていた。彼女は彼女なりにイメージを崩さぬように努力しているようで、その光景を眺めながら同情も少しばかり感じる。
「メグの奴。あとでエリカちゃんに恨まれなければいいけど」
「もしそうなっても、それで動じる女じゃねえよ、きっと」
「……そうだね」
 そうだった。メグだけは敵にまわしたくないタイプだった。

「そろそろ終わるけど明日香は二次会どうする? カラオケにでも行こうかって他の奴等が言ってるけど」
 話題を変えて壱也が訊ねてきた。
「カラオケかあ。……私はパス」
 正直、こういう雰囲気はまだしばらく遠慮したい。心から楽しめるほど、まだ立ち直れていない。ただ今日はずっと飲み会に顔を出さなかったし、壱也が心配してくれているのが分かっていたので仕方なくだった。
「じゃあ俺もパス。家まで送る」
「えっ? いいよ。それより壱也は楽しんできて」
 でもその言葉が壱也に届いたのかどうなのか分からない。そのあとすぐに壱也が席を立ち、飲み会を終了する号令をかけていた。
 本当に行かないのかなあ? 壱也が二次会に行かないなんて珍しいんだけど。それとも私に気を遣っているのかなと壱也の姿を見守っていた。
            


 

 
 
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