[2013年3月23日]
あれから二年と少しが経過した。 私は会社を辞めたあと、遠野とすぐに結婚はせず、しばらくは派遣社員として事務や受付の仕事をしていた。遠野と釣り合うような女性にならなければと思って。 こんな曰くつきの女のまま遠野のお嫁さんになるわけにはいかないと、当時の私の変なプライドが遠野を困らせてしまったけど、派遣先の契約が切れる頃を見計らって遠野は再び私にプロポーズをしてくれた。 プロポーズの場所は、あの海のタワー。今から一年ほど前の秋の終わりの海はとても寒くて、風も強かった。 『次の契約は俺と、だからな』 見つめ合う距離が近い。遠野の腕が私の腰にまわり、逃さないとばかりに引き寄せられていた。密着寸前の互いの身体。おかげで風の冷たさは感じない。私の身体は遠野の身体にしっかりと守られていた。 『よろしくお願いします』 プロポーズの答えは、ずっと前から“Yes”だったけど、どうしてか二人とも緊張していた。 『よかった……』 心底、ほっとしたように言う。 『断るわけないのに』 『麻衣のことだから、また先延ばしにされたらどうしようかと思ったんだよ』 思い出の場所でのプロポーズは、最高の思い出になった。 それから三ヶ月後にはウエディングドレスも着せてくれて、真っ白なチャペルで挙式。 そして可愛い天使を授けてくれた。私たちの間に生まれた子供。名前は、凛(りん)。 だけど、彼女は今日もご機嫌斜め。激しい泣き声が部屋中に響いていた。 「有志、お願い。今、手が離せないの。たぶんオムツだと思うから」 キッチンで夕ご飯の支度をしていた私は有志にお願いした。 「凛ちゃん、気持ち悪いでちゅねぇ。今、パパが取り替えてあげまちゅからねぇ」 それまでキャラになかった赤ちゃん言葉で有志は凛をあやす。その豹変ぶりは、会社の人たちはきっと知らない。かつての遠野ファンの女子社員が知ったら、どう思うだろう。笑われるかもね。 だけど、有志は文句なくいい父親。そして私を妻にしてくれて母にもしてくれた。 ──あの日 遠野が私の名誉のためにあんなふうに言ってくれたおかげで、私はみんなに祝福された。それまでの肩身の狭い状況が一転。みんなに温かい目で見守られた。 遠野は精一杯、あの時の私を守ってくれた。あの結婚宣言が私を守る唯一の方法だったのだ。 『おめでとう。よかったですね』 あの日、騒ぎを聞きつけた社長にまでお祝いの言葉を頂いた── 「有志、お待たせ。ご飯できたよ」 「凛ちゃん。ご飯ができたって。凛ちゃんも一緒に食べようか?」 凛の首もすわり、有志は凛をよく抱っこしてご飯を食べる。凛はまだミルクしか飲めないのに、凛が起きている時は必ずそうしたがる。 抱き癖がつくからやめてと注意しても「家族なんだから食事の時は一緒じゃないとダメだ」と言い訳をして凛を離さない。昼間仕事の有志は凛と触れ合う機会が少ないから仕方のないことなのかもしれないけど、有志がこんなにも親バカだとは思わなかった。 「凛に彼氏ができたらどうなるんだろうね? 十数年後あたりかな?」 「二十歳(はたち)まで男女交際は禁止に決まってるだろ」 でもこれがかなり本気の発言だから笑えない。 「瀬谷みたいな悪い男に凛が食われないように俺が凛の彼氏を探すんだ」 その言葉を聞くたびに私は苦笑い。食われた私はいったい……と思ってしまう。 「でも俺がみんなの前で結婚宣言した時の瀬谷の顔、おもしろかったな。麻衣も見ただろ。鳩が豆鉄砲食らう顔、俺、初めて見た」 「有志、言い過ぎ」 「だって、ざまぁ見ろ、だっただろ?」 あのあと瀬谷課長は小さな営業所に左遷させられたそうだ。瀬谷課長の後釜には新たに別な課長が配属され有志のよき上司となっている。 これで良かったのか、よく分からない。ただ、瀬谷課長は家庭も仕事も失わずにすんだだけ、良かったのだろう。 あまりにも代償が大きい恋だった。それでも、ないものにできないし、私の罪も消えることはない。後悔しても遅いけど、後悔の念は残ったまま。 私の身体に巻きついた重い鎖は巻きついたまま外れてくれなくて、それを今も有志は根気強く解いてくれようとしている。だから、瀬谷課長のことをあんなふうに言うのかもしれない。 「麻衣だけが苦しんでいるのはおかしいんだって。瀬谷課長だって家族を前に苦しむべきなんだ」 「でも……」 「大丈夫だよ。瀬谷課長は赴任先で降格したわけじゃないんだ。会社は仕事の評価だけはちゃんとしてくれているよ」 前向きに働いてくれているならいいの。家族のために頑張ってくれているなら、少しは私も救われる。 私も家族を持って強く思った。有志の見つめている先が私と凛であるように、瀬谷課長の見つめる先も奥さんとお子さんであって欲しいと…… 夜も深まり、凛を寝かしつけたあとは束の間の夫婦の時間。 「なあ、麻衣?」 「ん?」 「今度は男の子もいいな」 結婚して有志はますますやさしくなった。凛が生まれてから、さらにやさしくなった。家族になれて最高に幸せ。 「でもまだ早いよ。凛だってまだ小さいのに」 「大丈夫だよ。俺も子育て、ちゃんと手伝うから」 有志がベッドの中でとろけるようなキスをくれた。 「ん……麻衣の唇、甘い」 唇を舐めるようにおいしそうに味わう。 私は有志のやさしいキスが大好き。結婚してもキスは毎日欠かさない。喧嘩をしても、有志が言葉の代わりにキスをくれるから、私はすぐにほだされてすべてを許してしまうんだ。 「凛は麻衣にそっくりだよな」 「有志にも似てるよ」 「でも目元と口元は麻衣だな。だから食っちまいそうになる」 「変態」 「何とでも言えよ。だってあんなに可愛いんだぜ」 私たちの中心には、いつも凛がいる。有志の凛に対する想いに時々、嫉妬しちゃうけど…… 「あんなに可愛い子供が授かれたのは有志のおかげだよ」 今の私の幸せは有志が与えてくれたんだよ。あなたに出会えなかったら、私はどうなっていたのかな。 それを考えると時々、怖くなる。有志を失ってしまうことを考えて怖くなる。 贅沢だよね。どんどん欲が深くなる。幸せをもっともっとと思ってしまう。 だけどね、今度は私が守る番。有志がいつも笑っていられるように。私は生涯をかけて、あなたを愛し続けることを誓うよ。 「俺も麻衣に感謝してるよ。あんなに可愛い子供を産んでくれてありがとう」 「男の子、頑張ってみようかな」 「マジで? でも実際は男でも女でもどっちでも構わないよ」 「私もだよ」 有志を見つめると、もう一度、キスをくれた。 やさしいキス。いたわるように、とびっきり丁寧なキス。そこから伝わるのは愛おしさ。私のそれも際限がないくらいに溢れ出る。 それを感じ合いながら…… 唇が何度か重なりあって、何度目かに離れた時、見下ろされながら囁かれた。 ──やっぱこの唇、食べたくなるな 甘い夜に甘いキスを その甘い唇に 〜完〜 《あとがき》 閲覧ありがとうございました。 無事に完結しました。 稚拙な作品で申し訳なかったのですが、今後もひとつひとつ作品を完結させて上達できるように頑張りたいと思います。 最後に 見直しはしているのですが誤字脱字誤用があるかもしれません。 というより、私のことなのでたぶんあるかと思います。 気になる方はご一報下さい。 さとう未知瑠