第11章 結婚の現実(026)

 都内某所。とうとう、来てしまった。世良さんのご実家へ。萌さんと私の実家のそれぞれの挨拶は済んでいた。萌さんもだけど、うちの両親も世良さんとの結婚を喜んでくれた。
 そして今度は私の番。今日が世良さんのご両親との初対面の日。

 閑静な住宅街に佇む一軒家の庭先の駐車場に車を停めると、その音を聞きつけて、ご両親が玄関ドアを開けて車の中の私たちを出迎えてくれた。
「おかえりなさーい!」
「ただいま、母さん」
 車を降りて世良さんが言った。私も隣でペコッとおじぎをする。
「亜矢さん、待ってたのよー。お会いできてうれしいわ!」
「私もです。お会いできて光栄です」
 続いて世良さんのお父さんに軽く頭を下げられて、私も慌ててペコリとする。
「初めまして。大久保亜矢です」
「いらっしゃい。狭い家ですが、ゆっくりしていって下さい」
 お父さんが、やさしい声でおっしゃってくれた。世良さんの声に似ている。心がぽっとあったかくなるようだった。
「ありがとうございます。お邪魔させて頂きます」
 中に入ると広い玄関。狭いだなんてとんでもない。緊張しながら脱いだ靴をそろえた。
「文哉、ずいぶん遅かったな。事故にでもあったんじゃないかと心配していたんだよ。道が混んでいたのか?」
「ごめん、ごめん。途中の道が混んでいてさ。ほら、つい最近、ここからずっと先の国道沿いに大型のショッピングセンターが出きただろう」
「なるほど、そのせいか。今日は日曜だしな。まだ行ったことはないが、あの辺の道路は混みそうだな」
 お父さんはハンサムで上品で穏やかに笑う。世良さんはお父さんに雰囲気がよく似ているな。お母さんは底抜けに明るくてパワフル。笑ったときの瞳は世良さんと同じだ。

「今日は本当によく来て下さったわ」
 お茶を出しながら、お母さんが言う。
 広々としたリビングダイニングのソファは世良さんのアパートのお部屋のモスグリーンのソファと色違いで、比較的落ち着いた色合いのオレンジ。あたたかい色と馴染みある座り心地が緊張していた心を解きほぐしてくれた。
「ほんと、可愛らしいお嬢さんだこと」
 お茶を出し終えたお母さんもソファに座り、四人がそろう。私は「そんなことないです」と首を振った。
「いやいや、妻の言う通りだよ。文哉は随分と面食いなんだな」
 お父さんにまでそう言われ下を向くしかない。
「そうよねえ。そういうところは、やっぱり親子よね。文哉はお父さんにそっくりだわ」
 すかさず、お母さんの冗談なのか本気なのかわからない会話が混ざった。
「自分でよく言うよ。でも亜矢さんは、おまえの若い頃に似ているような気がするなあ」
「だから文哉が好きになったのかしら?」
「そうかもしれないな。おまえの言う通り、親子でタイプが似ているのかもな」
 ご夫婦のちょっぴり色気のある会話にこっちは赤面中。今でもラブラブなご夫婦なんだ。
「緊張するだけ無駄だっただろう?」
 世良さんが小声でニヤニヤと言う。震え声の話を思い出して私はキッと世良さんを睨むけど、世良さんは澄ました顔で熱々の緑茶をすすった。
「ふたりが来るのを楽しみにしていたのよ。だから、今日は腕を振るっちゃうわ。なので亜矢さん、お夕飯、食べていってね」
「……は、はい。ありがとうございます」
 張り切っているお母さんに圧倒されている私。でも、取りあえず第一印象では嫌われていないんだと感じ、ちょっとだけほっとしていた。
 よし! お夕飯のお手伝いを頑張るぞ!
 そのあとは私の仕事や実家の話をしたり、世良さんとの生活のことを聞かれたり。驚いたことに、ご両親は、私が世良さんと同棲をしていることをご存じで、そのことも好意的に思ってくれていた。
 家族の仲がとてもいい。たくさんお話をしてそう思った。

「亜矢さん。家内から聞いていたんだが、もともと文哉と同じ会社の受付だったそうだね?」
 お父さんが興味深そうに尋ねる。
「はい。それで文哉さんとは、仕事を通して何度かお話をしたことがあったんです」
「そのあとに今の会社でか……なるほど……」
「すごい偶然だったんです。まさか、うちの事務所が高嶋建設と仕事をするようになるとは思ってもみませんでした」
「……そうか。でも果たして偶然だったのかな?」
「え?」
「いやいや、なんでもないよ。そうだよな。同じ東京で同じ業界にいるんだ。そんな偶然も、まあ、あるよな」
「ええ。こうして結婚することになって、偶然の再会に感謝しています」
 隣に世良さんが座っているのに、とても楽しい雰囲気だったので、ついベラベラと口が動いてしまう。あとで突っ込まれたら恥ずかしいな。
「きっと、ふたりは結ばれる運命だったのよ。素敵ねえ。憧れるわ」
「母さん、その年で『憧れる』はないんじゃない?」
 世良さんが、うっとりしているお母さんにからかうように言う。
「失礼ね! 女はね、年をとっても結婚していても、夢を見るものなの!」
「なるほどね。そういうものなのか」
 お母さんの意気込みに対しても、世良さんはさらっと流し、相変わらず落ち着いた様子。家でも外でも、世良さんは変わらない人なんだなあと、ふたりのやり取りからも感じた。
「それより母さん、そろそろ支度をしなくてもいいの?」
 世良さんに言われて時計を見たお母さんが突然、慌て出した。
「あら、もうこんな時間。お夕飯の支度をしなきゃ」
 本当だ。あれから二時間近くたっている。話が弾んで気づかなかった。
 キッチンへ行ってしまったお母さんを見て、私もさっと立ち上がった。それから、キッチンの入り口に立って、お母さんに声をかける。
「私にもお手伝いさせて下さい!」
 お母さんは一瞬、キョトンとした顔をしていたけど、エプロンを胸に抱いている私を見て「お願いするわ」と私を手招きしてくれた。

 シンプルな透明容器に入った調味料が作業台の上のスパイスラックに何種類も並んでいた。ピカピカのシンクは清潔感があって、カフェカーテンの窓の下には爽やかな緑の小さな観葉植物。
 気持ちがよくて、使いやすそうなキッチン。毎日、お料理をしているとわかるキッチンだった。
「お料理がお好きなんですね」
「他に趣味がないの。でも家族に料理を作ることは楽しいわ。文哉も小さい頃はよくお手伝いをしてくれたのよ」
 ひとり息子の世良さんは、甘えん坊だったのかな? 小さな世良さんがお母さんのお手伝いをしている姿を想像して、愛らしいと思った。
「ああ……だから文哉さんはお料理上手なんですね。私よりも上手なので立場がないんです。私、もともとお料理はあまりしたことがなかったもので」
「そう言うわりには、亜矢さんの包丁を握る手つきもなかなかよ。……文哉のために、いつもありがとう」
 野菜を切る私の手元を見たお母さんが、そう言ってくれた。
 お料理は世良さんのために覚えたと言っても過言ではない。それまでは、お魚を下ろせなかった私が、ついにアジの三枚おろしができるようになったのだ。
「ひとり暮らしのときは栄養バランスや旬の食材をあまり考えていなかったんですけど、文哉さんのために作るようになって、そういうことも大切だなあと思うようになりました」
「私もよ。独身時代は料理なんて全然興味がなかったけど、夫と結婚して、すぐに文哉が生まれて……やらないわけにいかないじゃない。もう、必死だったわ」
 お母さんとの女同士の会話。パワフルなお母さんのもうひとつの顔。
 この人が世良さんを産んで、大切に育てて下さったんだ。そのおかげで、私は世良さんという素晴らしい人と結婚することができる。世良さんとなら、あたたかくて幸せな家庭を作ることが叶うはず。

「そうそう! 亜矢さん、リフォームの話を文哉から聞いた?」
「リフォームですか? いいえ、聞いていませんけど」
「そうなの? まったく、あの子ったら。あれほど急いでねって念を押していたのに」
 お母さんはぶつぶつとそう言って水道で手を洗うと、リビングにいるお父さんに声をかけた。
「お父さん、あの図面、どこに置いたかしら?」
「その話は、また今度にした方がいいんじゃないか?」
「ダメよ。文哉にまかせていたら、いつまでたっても話が進まないんだから」
 いったい、なんの話だろう? このお家のリフォームの話みたいだから世良さんが関わっているのはわかるんだけど、どうして今、私にそれを言うのかな?
「母さん! その話はまだ亜矢ちゃんにしていないんだ」
 お母さんたちの会話を聞いていた世良さんが声を荒げた。
「だからよ。あれほど言ったのに。てっきり、話してくれているんだと思っていたわ」
「順番があるだろう。親に紹介して正式に結婚が決まってからだと思ったんだよ」
「なら、今日の今日でいいじゃない。嘘のお見合い話をでっち上げても、文哉がなかなか亜矢さんとの結婚を決めてくれないから、のびのびになっちゃったのよ」
 嘘のお見合い話? あれって本当にお母さんの嘘だったんだ。
 ……で、何がのびのびになっちゃったんだろう?


 
 
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