「二世帯住宅……ですか?」 夕飯の支度が終わり、みんなで食卓を囲んでいた。 豪華なお刺身の盛り合わせに煮物にサラダ。それから茶碗蒸しにワカメときゅうりの酢の物。天ぷらのエビはうちの実家と比べ物にならないほど大きい。食べきれないほどのごちそうだ。 「そうなのよ。そろそろ、うちもリフォーム時期かなと思っていたの。でも肝心な文哉の結婚がまだなものだから……やっぱりリフォームよりも息子の結婚が先でしょう?」 「は、はぁ……」 それで二世帯住宅? わかるようで話が見えない。 「それでね、文哉がいつまでも結婚をしないからお見合い話をして急かそうと思ったら、プロポーズした女性がいるって言うじゃない。私、うれしくて……」 「それで、突如、二世帯住宅にするって言い出したんだよ。意味がよくわからないだろう?」 世良さんがポカンとしている私に苦笑いしながら説明してくれた。 「それからは母さんのペース。僕に二世帯住宅の設計をしろって言い出してさ。仕方なく二世帯住宅とそうじゃないものの両方を考えたよ」 「あ! 前にアパートで見た北街角の家の電気工事の見積もりって?」 「そう。あれ、この家の見積もり」 「そうだったんだ……」 「それでさ、電気工事の会社は父さんの知り合いの業者を使えって言うもんだから、その社長にも会い行ったんだよ」 前にデートをドタキャンした日だ。確かに社長さんに会いに行くと言っていた。 「腕のいい職人あがりの社長さんで、人柄も良かったよ。調べたら業界でもわりと上位の完工高で経営も安定しているんだ。技術職に就いている人のほとんどが資格を持っているから、安心して仕事をまかせられるよ」 すべての辻褄がピタリと合った── 『いつになったら結婚相手を連れて来るの? 相手のお嬢さんをちゃんと説得してちょうだいよ。いつまでもそんな調子だとね──』 『はいはい、お見合いの話だろ。母さんの気持ちはわかってるよ。だからもう少し待ってて』 『お父さんも心配しているのよ。本当はあなたは結婚する気がないんじゃないかって』 『そんなわけないだろう。僕だって将来のことはちゃんと考えているよ』 『じゃあ、いい報告待っているわよ。それからリフォームの電気工事屋さんの件なんだけど、金額交渉についてもよろしくね』 『わかったよ。その話はもう少し待っていてよ。いい方向になるように考えているから』 ──世良さんとお母さんの話を総合すると、私が立ち聞きしたふたりの電話の会話の真相がこれ。 ずっと独身だった世良さんを心配して、年々、激しくなるお母さんの結婚しろ攻撃に耐えられなくなっていた世良さんが、ある日、思わず私のことを話してしまったのだそうだ。 今の世良さんとの生活が幸せで、すっかり忘れていたけど、そういえばそんなことがあったなあ。ひとりで勝手に妄想して落ち込んで、身を引こうと考えて、とうとう部屋を出て行ってしまったんだ。ほんと、笑える。 でも今思うと、あれはあれでいい経験だった。それまで喧嘩もしたことがなかったので、本音でぶつかり合ういい機会だった。 それに、感動的なサプライズがあった。心を揺さぶられる言葉をもらった。世良さんを誰よりも愛しいと気づけた。だから、これでよかったんだと思う。 「でも、今日初めてお会いしたのに、二世帯住宅を希望されて……よろしいんでしょうか?」 世間では同居というと敬遠されるものだけど、私はいきなりのことで実感がない。いまだに、どこか他人事みたいな感じだ。 「違うわよー。亜矢さんとは今日が初対面じゃないのよ」 「えっ!?」 お母さんがニンマリとする。一方、初対面じゃないと聞いた私は大慌て。 思い出せ……早く思い出せ……いつ、どこでお会いした? 「私、何度か高嶋建設に行ったことがあるのよ。以前、保険の外交員をしていたから」 「そ、そうだったんですか!? し、失礼しました! 私ったら……お母さんのこと……」 「私の顔を知らなくてもおかしくないわ。決まったお客様の訪問だけだったから、受付に寄らずに、契約者の携帯に直接電話をして呼び出していたの」 昔はセキュリティが厳しくなくて、保険会社の人も高嶋建設に気軽に出入りができたそうだ。その頃はかなりの数の契約ができたけど、そのうち狙い目の新入社員と会うこともままならなくなって、契約が取れなくなってしまった。 電話で呼び出すのは、昔、契約をした人らしい。記憶を辿ると、保険会社の女性の方がお昼休みにロビーで中堅社員と面会していたことを思い出した。 「人目を引くのかしら? 亜矢さんのことは印象に残っていたわ。それに女同士だからよくわかるのよ。仕事ぶりから、その人の性格や育ちの良さがね。ましてや私はたくさんの人と接してきたのよ。人を見る目は確かだから」 お母さん、恐るべし。誰に見られているかわからないものだなあ。まさか保険会社の人にそんなふうに見られていたとは思わなかった。 「なんだ。だから亜矢ちゃんの下の名前を知っていたのか。受付をしていた大久保さんとしか言っていなかったはずなのに、おかしいなと思っていたんだ」 世良さんが納得したように言った。 「あら! 私ったら、そんなこと、すっかり忘れて、亜矢さんの名前を言っていたわ」 「まったく……おまけに、プロポーズした相手の人ととどうなったのかって何度も電話をかけてくるし……」 「可愛い息子が三十六にして、やっと本気になってくれたんだもの。応援したくもなるでしょう」 「可愛いと思ってくれているんなら、あんなプレッシャーかけないでほしかったよ」 「うまくいったんだからいいじゃない」 「……今となっては、だよ」 最後のひとことは小声だったので、お母さんたちに聞こえなかったかもしれない。思いっきりテンションが低い世良さんも珍しい。 それもこれも、これまでの数カ月間にいろいろなことがあって、お互いに苦しい思いを重ねてきたから。私には決して弱音を吐かないけど、今日はお母さんの前だから本音が漏れてしまったのかも。 「それから、二世帯住宅の話もしばらく保留にして。これは僕たちの間でじっくり話し合わないといけないことなんだ。第一、僕の都合も考えてよ」 「わかってるわよ。無理強いはしないつもり。だから2パターンの設計をしてもらっているんじゃない」 だんだんと険悪なムードになってきてしまった。だけど、ここで私が口を出して、いい子ぶるのもどうかと思い、黙ってやり取りを聞いていた。 もちろん、世良さんが私の立場を考えて、お母さんにそう言ってくれているのもわかっていた。私が拒否できなくなることを心配しているから、あんな言い方をしてくれたのだ。 食事のあと、キッチンにいるお母さんの元へ、食器を運んだ。 「食器洗い、私もお手伝いします」 「ありがとう。やっぱり女の子はいいわね。こうして一緒におしゃべりしながら家事ができるんだもん」 「ふたりでやると楽しいですよね。文哉さんも、いつも手伝ってくれるんです。お母さんのお手伝いの習慣があったからなんですね」 「あの子、私が忙しいのを知っていたから。やさしい子だったわ。今もやさしいけど」 「文哉さんが言っていました。女の子は赤ちゃんを産む身体だから大切にしなさいと、お母さんに教えられたって。だから、あんなにやさしいんだと思います。女の子だけでなくて、みんなにも……」 「……え、やだ、あの子ったら」 お母さんが涙ぐむ瞳を誤魔化すように瞬きをした。 「私、感動しちゃいました。だから、文哉さんのご両親は素敵な人だと確信していました」 「亜矢さん……」 「私もいつか子供を産んで、もし、その子が男の子だったら、そういうふうに教えたいです。未来の息子のお嫁さんにも私と同じ感動を味わってもらいたいなって」 「ありがとう。文哉が選んだ女性が、亜矢さんでよかったわ。本当に……うれしいの」 そしてお母さんが打ち明けてくれた。どうして二世帯住宅にこだわっているかを。 保険の外交員だったお母さんは、家を留守がちだった。ひとりぼっちでお母さんの帰りを待っていた小学生の世良さんは、いつも寂しそうに見えたという。夜、家の外でお母さんを待っていることも度々だったそうだ。 だから、せめて孫にはそんな思いをさせないようにしてあげたい、明かりの点いた部屋で、毎日、孫を待っていてあげたい──そう思ったのだそうだ。 「亜矢さんが専業主婦でも、美容院に行ったり、お友達と会ったりすることもあるでしょう。そういうときにも気軽に預けていける環境を作ってあげたいと思ったのよ。自己満足だけど」 「自己満足だなんて……そういうご苦労をされてきたんですね」 「うちは主人も私も実家が遠かったから」 そう言ったお母さんの顔は、とてもやさしくて…… 「でも二世帯住宅の話は気にしないでね。文哉の結婚がうれしくて、はしゃぎすぎちゃったの」 とってもチャーミングに笑っていた。 *** 「今日はいろいろ驚かせてごめん」 帰りの車の中で、世良さんが照れくさそうに言った。 すっかり長居をしてしまい、時刻は夜の十時近くなっていた。交通量が少なくなった道を車が加速する。 「いいえ。とても楽しかったです」 「母さんが言ったことなんだけど、気にしなくていいから」 「二世帯住宅での同居のことですか?」 「うん。困っちゃうよ、まったく。まあ、ひとり息子だから、老後の面倒もみないといけないとは思ってはいるけど。同居までは考えていないから」 「そのことなら、お母さんからもフォローして頂きました」 「何か言われたの?」 「お母さんの本当の気持ちです」 「何それ?」 「女同士の秘密です」 別に秘密にしてと言われたわけでもないけど。それを言ってしまったら、世良さんが、実は寂しがり屋で甘えんぼさんだったことを、私が知ってしまったとバレてしまうから。 だから、“女同士の秘密”は知らない方がいいでしょう? ……なんて、聞けないけど。 「同居のことはよく考えてみます。実家の両親にも話しておかないといけないですし」 結婚とはそういうものなんだ。戸籍が一緒になるだけではない。 春山社長も言っていた。男のプロポーズは女が考えている以上に深い、と。 私たちの場合は、そういう現実も考えないといけないと知った。子供が生まれたら仕事をどうするかも考えておかないと……