6.背徳の中の日常 (017)

 

 ステージの迫力に魅入っていたらこのライブはいくつかの参加バンドがあって曲数は2曲と決まっていると教えてもらった。
 おそらく今が2曲目なのかな? 流れていたのはバラードだった。そしてそれは私がいつも好きだと豪語していたバンドのバラード。気に入っていた曲の中でも一番の私のお気に入りの曲を壱也が唄っていた。
「なかなかでしょ?」
「ええ……」
 私は目を奪われていた。目線はまっすぐで、自惚れかもしれないけど、その視線は私に向けられているような気がした。暗闇の中の一点がやけに輝いていて、訴えかけてくるその歌詞は壱也の声と一緒になって響いてくる。それは私の脳裏に刻みつき、目がしらが熱くなる。悲恋に打ちひしがれる歌の中の主人公が自分と重なるような気がした。それでも愛を叫び続ける力強さは私にはないけれど……
 悔しいくらいに感動した。きっと私が好きな曲だったからなのかもしれない。けれど、それを唄っていたのが壱也だったからなのかもしれない。ただ言えるのは枯渇していたこの体に沁み渡るのは慈しむような情。
 私はその場にいられなくなり、隣にいた受付のお兄さんに気づかれないよう会場の外に出た。

「あっ、ちょっと待って」
 体育館を出た通路でさっきの受付のお兄さんが私を呼び止めた。
「なんですか?」
「もうすぐ壱也が来ると思うからここで待ってたら? それまで俺で暇つぶしてればいいし」
 よく見るとなかなか整った顔をしたイケメンの部類だ。前髪と襟足の髪をじゃっかん長めにして大人ぽいけど中性的な顔立ち。戦隊ヒーローのドラマに出てきそうな雰囲気の彼はとにかく人懐っこい。
「でも受付の仕事があるんですよね?」
「受付とはいってもチケットがあるわけじゃないから実際やることないんだよね。だから気にしないで」

 彼は一年の小山田要(おやまだ  かなめ)と名乗った。
 お兄さんかと思いきや……
「え? 後輩?」
「あっ。今、『こいつ、老けてるな』と思ったでしょ?」
「い、いえ。そんなこと……」
 ……図星です。
「俺、二浪してるから年は壱也と同じなんだ。希望の大学に二度も落ちてここで妥協したってわけ」
 それって何気にうちの大学をバカにしているように聞こえるんですけど。必死に勉強してこの大学に入った私の面子は丸潰れということになる。
 でもこの人、ちょっとおもしろい。人見知りを知らないようなところは壱也と同類な感じがする。
「で?」
「はい?」
「いや、だから名前とか」
「ごめんなさい。私、三年の片瀬明日香です」
「じゃあよろしく、ということで。さっそくなんだけど、これから予定ある?」
「予定はないけど……」
 急な誘いにどう断ろうか考えていると音もなく現れた人物が声を発した。

「おい、要!」
 細身のブラックのパンツにシンプルなホワイトのシャツ。ステージの時と同じ服装だけど近くで見ると襟や袖裏、フロントの身ごろ裏がレオパード柄になっている。
 何気、オシャレというか。こだわっているところが見え隠れしていて、そういうところに目がいってしまう私も私なんだけど。……この人はモテるんだろうな、と改めて思う。
「あーあ。残念! タイムアップか」
 顔だけ外国人並みのオーバーリアクションの小山田要。彼は明らかに壱也をからかっている。
 でもこの様子だとふたりはもともと仲がいいみたいだ。
「こんなところでナンパしてんなよ」
「壱也を待っていたんだよ」
「お前が俺に何の用なんだよ」
 心なしか壱也の声が乱暴。一方、私はさっきの感情を思い出し、恥ずかしくてなんとなく直視できない。ステージからは表情までは分からないはずだけど心の問題だ。
「なんだよ、その言い方。せっかく帰ろうとしていた明日香ちゃんを引き留めてあげておいたんだぞ」
「そんなこと言って、ナンパしてたのはどこのどいつだよ」
「まあまあ、そんなに怒るなって。大丈夫だよ。壱也の大事な明日香ちゃんに手を出すことなんてしないよ」
 ん? 要くんの言葉にびっくりして思わず壱也の顔を見上げた。壱也も私の視線に気づいてこっちを見たけど、ふいっと目を逸らされた。
 なに? 今の。感じ悪いんですけど。
「要、これ以上、変なこと言うとただじゃおかないからな」
「はいはい。分かってまーす!」
 最後までおちゃらけたところが私的におもしろかったし嫌いじゃないと思ったけど。壱也はなにが気に入らないのかずっと不機嫌な顔をしていた。


「カッコよかったよ」
 ふたりでキャンパスを歩きながら素直に言ってみた。最初の曲は聞き逃してしまったけどあの一曲だけで満足だった。
「当たり前」
「うわー! 何それ! 自意識過剰!」
「うるせぇ。俺はかっこいいの。それより……」
「ん?」
 たこ焼き屋さんやクレープ屋さんの前を通り過ぎ、時折ある執拗な引き込みを無視しながら、壱也は少し表情を曇らせた顔をしているように見えた。
「俺があの場にいなかったら要について行ってた?」
「まさか。初対面だよ」
 そんなわけないじゃん。私はおかしくて笑った。

「だよな。明日香がいきなり要とライブを見に来てるから心配になって……」
「心配?」
「あ、いや、そ、そういう意味じゃなくて……あいつは結構女遊びが激しい奴だから大丈夫かなと思ったんだよ」
「そうだね。妙に馴れ馴れしいなとは思ったけど。でもきっと私のこと、からかっていただけだよ」
「だとしても油断できない奴だから」
「心配しなくても大丈夫だって」
 壱也は私のよきボディーガードだね。いつも見守っていてくれる。そして私の窮地の時に救いの手をさしのべてくれるスーパーマンみたいな男の子だよ。本当に大切な友達。
 だからそんな大切な壱也に嫌われるのが一番怖いんだ。本当のことを知ってしまったら、やっぱり私を軽蔑するのかな。どんな言葉をぶつけられるのだろう、どんなふうに見下されるのだろう。その時の私は玲との恋愛を後悔しない自信はあるけど、それと引き換えに失うものが大きすぎるような気がする。

 ◇◆◇

 大学祭も終わり落着きを取り戻した大学。
 キャンパスの緑はすっかり色を変え、風が吹くたびにさわさわと葉が揺れては落ちた。イチョウの木の下のベンチは最近のお気に入りの場所。銀杏の実はなっていないから雌の木なのだろう。その木のあざやかな黄色は目を見張るもので一際目立っていた。

 大学三年の私はそろそろ就職を本気で考えなくてはならない時期。大学では建築学を学んでいるのでそれを生かした職種に就こうかどうか悩んでいる。専門の知識を生かせば就職先は建設会社や設計事務所などになるのだが、まだまだこの業界は男社会の業種。こんな私に務まるのかと不安もある。
 でもいつまでもそんなことも言っていられない。嫌でも就活が始まるのだ。早い人はすでに内々定をもらっている人もいるとか。でも女の私にはそんな恵まれた環境なんて存在しない。ただでさえこの不景気で求人がないのにいったいどうやって内々定なんて手に入れることができるのか不思議でたまらない。
 地元に帰ることだけは選択肢になかった。両親も了解してくれている。こっちの方が職種も多いし企業の求人もまだましだった。第一、玲と離れ離れになることは考えられなかった。
 取り敢えず、来週、企業ガイダンスに参加することにしている。まだ会社どころか職種も絞り込めていない。たくさんの企業が参加するこのガイダンスは就活の第一歩としての慣らしみたいなもの。


「麻耶は就職どうするの?」
 バイト先の麻耶に相談してみた。彼女は大学は違うけど同じ学年。だから、そういうことを考えている時期だと思って。
「うーん、とりあえず来年からかな?」
「そんなもんなの?」
「女なんてそんなもんでしょ。急いで決めたってそこで出世できるわけでもないし。第一どんな職業に就いたらいいのかまだ分からないもん」
 他人事のようにさばさばとしているけど同世代の人たちってこんなもんだよね。確かに私もそうだ。職種もさることながら出世を目指してバリバリ働くイメージがどうしても湧かない。
「同じだ。私もまだピンとこないんだ」
「でしょ? 今の時期から考えたって現実味ないんだって。ほら、お客様だよ」
「はーい」
 とにかく今はバイトに集中集中。
 あとで玲に相談してみようかな。そうだよ。すぐ近くに立派な社会人がいるじゃないか。

 夜の11時近く、玲が帰ってきた。
「お帰りなさい。ご飯食べるでしょ?」
「ああ。でも先にシャワー」
 玲は毎日帰宅が遅い。土日も休みになることなんて滅多にない。よく考えたらそれってすごいことだよね。玲はなんでこの仕事を選んだのだろうか。そう言えばそんな話をしたことがなかった。

 バスルームからシャワーの音が聞こえてきた。玲がシャワーを浴びている間、料理を温め直す。メニューは忙しい時のために作り置きし冷凍保存しておいたカレー。最近は学校へ行く前に夕飯の下ごしらえをしたり、多めに作って冷凍保存したりして食事作りも自分なりにこなしていた。手際もよくなったと思う。
 玲がシャワーを浴び終え、いつものポジションに腰を下ろし、私もそのタイミングで食事を並べた。
「ねえ、どうして今の仕事を選んだの?」
「どうした? 急に」
「来週から就活だから参考にしようと思って」
「そうだなあ。俺の場合はもともと店舗開発じゃなくて設計とか企画を希望してたんだよな」
「内勤の仕事のこと?」
「そう。でも入社したら今の部署に配属されて毎日外回りの日々。まあ実際、設計も企画も両方携われるし、現場の仕事の方が俺には合っていたけど」
 現実は自分の希望が通らないことも多い。でも夢や目的を持つことも大事だよね。いいなあ。私にはまだそういう具体的なビジョンが見えてこない。
「私、やりたいことが分からなくて」
「就活をはじめる前は企業や職種を絞れなくても、そのうち見えてきたりするもんだよ」
 理想ばかり抱いていると、よほどの信念がない限り現実を知り幻滅するのだそうだ。
「だから、逆にそんなもの、最初から持っていない方がいい」
「ずいぶんとクールだね」
 その考え。
 でも、なくてもいいんだ。今からいろいろ知って、それからでも遅くないのかも。少し気が楽になった。見聞を広めよう。これから数ヶ月あるのだから。
            


 

 
 
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