9.彼を傷つける私の中の矛盾 (028)

 

 どう返していいのか悩んでいると要くんが急にまじめな口調になった。
「大学祭で明日香ちゃんと初めて会った日。壱也が明日香ちゃんを好きなんだってピンときた。だって壱也が大学祭のライブでわざわざひとりの女の子を招待するなんて意外だったし、最初から俺の前で独占欲丸出しだったでしょ?」
「んー……そうだったかな?」
「そうだよ。俺、すっげー睨まれてたじゃん。そのあとふたりが正式につき合い出したわけだけど。俺、壱也がひとりの女の子に入れ込んでいるのを初めて見たからすごく驚いた」
「確かに前はカノジョがころころ変わっていたもんね」
 いつも女の子と自然消滅だった壱也の私に対する接し方“意外”と感じているのは私も同じ。大事にされていると実感していた。
「今の壱也がうらやましいよ」
「どうして?」
「俺さ、元カノに振られて自暴自棄だった時期があったんだ。あの時、すげえ辛くて、なにもかもどうでもよくなった。けど、一途に明日香ちゃんを想う壱也を見ていたら俺もまた誰かを好きになりたいなって思うようになったんだ。俺もそんな恋愛したいなって」
 要くんの元カノは二股をしていて別な人の子供を妊娠した。それを知った要くんがどれだけのどん底を味わったのか、私にはよく分かる。要くんと私は似たような別れを経験している。
 でも私には壱也がいたから、壱也に支えられたから、今、こうして幸せでいられる。
「だからさ、俺が壱也をうらやましいと思ったんだから壱也はいい恋愛をしてるはずだよ。人を好きになると誰でも不安に思うもんだし、あんまりあの子の言うことは気にするなよ」
 要くんはにっこりと笑った。
 やっぱり話の内容も聞かれていたんだ。でも、こうして私の苦悩を理解してくれる人はきっと要くんしかいないと思う。
「ありがとう。実は戦線布告までされてちょっとヘコんでた」
「明日香ちゃんは不器用そうだもんな」
「そうかもしれない」

 いつも気持ちを素直に表現できず、言いたいことも言えない自分。私は100%で壱也に向き合っていなかったのかもしれない。だからエリカちゃんの言葉にびくびくしてしまうのだ。彼女の方が壱也を理解している。
 彼女からしてみたら、相手が私だから諦めがつかないのだと思う。こんなふらついている女が壱也のカノジョだから納得いかないのだろう。
 そして私は、玲をずっと意識して壱也をどこかで避けていたことも否めない。ことの本質と向き合った時、辛い結果が待ち受けていやしないか、無性に不安に駆られる。
 だけどその答えは、この先にやって来ることとなる。どちらに転ぶのか、この時の私はまったく予想がつかなかった。


 ◇◆◇


 定期考査も終わった2月の半ば、大学は長い春休みに入った。
 4月からは大学四年。いよいよ学生生活も残り一年と少しとなった。4月からは卒論に本格的に取りかからなくてはならない。
 そして卒論もさることながら就活にも気合いを入れていかなくてはならない時期。街を歩くとリクルートスーツのいかにもという学生が目につくようになった。もちろん私も例外ではないが今日はちょっと小休憩。
 今日は私の部屋で壱也とDVDを見ながらまったり中。午前中からだらだらと過ごしていた時間は束の間の癒しのひととき。

 やがて太陽が傾き始め、今日で三本目のDVDも佳境のシーン。
 今観ている映画は過去に大ヒットした恋愛映画。私はかなりのめりこみ、壱也そっちのけで画面に釘づけ。さすがに三本目ともなると、壱也は私につき合う気力はなくなったらしく、途中からベッドの上で雑誌をあさっている。といっても私の部屋にあるのはファッション誌ぐらい。
「明日香ちゃん」
 雑誌あさりにも飽きた壱也が甘えた声で私を呼ぶ。
 そしてベッドに寄りかかっていた私の背後から、ちょっかいをかけはじめる。まとわりつく壱也は明らかに暇つぶしのため。
「ちょっとやめて。今いいとこなんだから」
「続きはあとで見ればいいじゃん」
「それだと返却日に返せなくなっちゃう」
 そう言って後ろを振り向くと、悪だくみしている子供のように、でも無邪気な顔をした壱也。
 すると。
「今はこうしていたいから」
 私の身体がふわっと浮いた。

 脇の下から両手を入れられ後ろから抱えるようにベッドに持ち上げられた。
「まだ明るいよ」
「明るい方が楽しめるじゃん」
「私はイヤ」
 壱也とは何度かそういうことはしてきたけど、明るい部屋ではまだちょっと恥ずかしい。
「俺、明日香の全部を知りたいんだ」
 囁かれたセリフはさっきまでの壱也とはまるで違う。
「でも、やっぱり恥ずかしい」
「俺は全部見せてるだろ。だから明日香も全部俺に預けて」
 壱也の男の部分が顔を覗かせた。
 大丈夫だから、と拒むことを許してくれない壱也は私をベッドにゆっくりと押し倒した。切ないくらいに強く抱き締めるその力に、なぜか悲しくなって胸がつまる。やさしく頬を撫で、私をじっと見つめてくれるその愛に私は応えられているのかな?
 好きだよと耳元で囁かれながらも、私も、と返せない自分がいて……丁寧に、そして時に荒々しく愛撫を受けながら私は拭い去れないあの人を思い出していた。
 壱也を好きなのは本当。だけど今も大きく占める私の中の本音はいまだに変わらなかった。

「明日香?」
「え? あ、ごめん」
 こんな時なのに私は……
「なに考えてた?」
「ううん、なにも。ちょっとぼーっとしちゃっただけ」
 そう言った私の言葉に対して壱也の表情は穏やかだけど隠そうとしている苦しさが見え隠れしている。
 私はふとあの言葉を思い出した。宣戦布告をしてきたにエリカちゃんが言っていた言葉を。
 そんな不安そうな顔をしないで。
 そうさせているのは私だけど、つき合ってから何度もそんな表情をさせていたのかと思うと、後悔すら覚える。
「明日香にそんな顔されると続けられない」
「そんな顔?」
 驚いてしまった。てっきり自分がさせていると思っていたのに逆に自分がそれを指摘されてしまう。
「他の男のことを考えてる顔」
 もしかして壱也が不安そうな顔をしているのは私が玲のことを思い出しているのを感じ取っているからなの?
 もしそうだとしたら……
 そんなことを考えながら私はじっと壱也を見ていた。それは壱也がさっきがら私をじっとみつめているからで。しばらく見つめ合っていると壱也はそっと私の首筋に顔を埋めた。僅かに感じた感覚はそれがキスマークだと自覚できる。こんな場所では人目につくのは必至。
「せめて、これぐらいはさせろよな」
 コクリと頷く。
 壱也はその紅い痕を指でなぞりながら少しだけ満足気に笑った。

 下から見上げる上半身裸の壱也はすごく妖艶。友達関係の時には決して見ることのできなかったもうひとつの顔を見せてくれる。思わず見とれていると急に大きな手が伸びてきて私は上半身を起こされた。
「壱也?」
 乱れた服を整えながら恐る恐る壱也を見るといつも通りの壱也がそこにいた。
「残念そうな顔しちゃって。そんなにやりたかった?」
「ち、違うもん!」
「冗談だよ。でも俺、明日香が玲さんのこと忘れられない気持ち、分かるから」
 私の頭をぽんぽんと撫で、そして乱れた髪をすくうように整えてくれた。
 強がっているのかもしれないけど、そもそも壱也の弱い部分なんて見たことがないような気がする。数々の女の子とつき合ってきて女慣れしている壱也は私なんかよりもずっと恋愛は上級者。だから私の気持ちが分かると言ってくれたその言葉に、そんな経験をさせてきたのは自分なんだろうなという自惚れにも似た思いを感じた。
 そんなことを思うなんて。ほんと、私って図々しいよね。
「でも、私はちゃんと壱也のことが好きだよ」
「ん、分かってる」
 すると壱也は私の髪から手を離し、ベッドから降りて、飽きたはずのDVDを再び見はじめた。
 その後ろ姿を見ながら、ふたりの間の微妙な距離感を感じずにはいられなかった。もっともその原因は私。でも自分で解決に導く方法が分からない。

 さっき見ていた映画は悲しいラストシーン。映画ですらハッピーエンドを選べなかった私。
 そもそも玲との別れは自分で決めた。好きなのに自分から別れを告げることは身を裂くように辛かった。
 だからといって私の身勝手な過去は許されるものではない。しかも別れがくるのは当然の結果なのに私は悲劇のヒロイン気取り。
 そして、今、目の前の大事な人まで傷つけている。心の奥底にある本音を隠したまま壱也を好きだと言う最低な行為で。
 壱也を好きなのは本当だけれど、どうしても気持ちの矛盾が修復できない。
 もうひとりの私が壱也に忠告している。こんな私なんてやめた方がいいよと。でも自分からそれを言うことのできない卑怯な私は、できれば壱也から告げて欲しいと思っていて……

 ──お願いだから私を見捨てて

 心のどこかで確実に思う自分が間違いなく存在していた。
            


 

 
 
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