10.動き出した未来 (029)

 

【6月】Asuka[大学4年]


 長かった春休みも終わり新学期が始まると毎日が卒論の準備と就活とバイトの繰り返し。
 そんなある日、壱也の就職の内定が決まった。誰よりも早い内定。なので今日はちょっとしたお祝い。私は頑張って手料理を振る舞った。
 壱也の就職先は大手の設計事務所。正直びっくりした。あんなすごい会社の内定が取れるなんて。
 確かに壱也の授業に取り組む姿はかなり熱心だった。授業の一環で建設中の現場の見学に行くことがあった時なんて、かなりのテンションの上がりよう。鉄骨やコンクリート剥き出しの大きな商業施設の中を目を輝かせて興味深く見学していたのを思い出した。きっと早くから自分のやりたいことが固まっていたんだと思う。

「おめでとう。これでひとまず安心だね」
「ああ、ただ……」
「ただ? なに?」
「いや、なんでもない」
 なにか言いかけたのに言葉をつぐんだ。
 なんでもないって……そんなはずないでしょ。
 僅かに目線を逸らすその仕草は絶対になにか隠している。
「なにかあったならちゃんと言ってね」
「分かってるって」
 無理に訊くのはよそう。壱也を見ながら今はまだ触れてはいけないような気がした。心に思っていることが口に出せるようになるまで待とうと思った。

 壱也の就職内定に触発され、私もうかうかしていられないという衝動に駆られる。
 だけど浮かぶのは漠然とした未来。でもこのままではいけないと思い、今日は大学の就職相談室に足を踏み入れた。長い間、求人を眺めながらだんだんと自分の行きたい方向性が分かってきた。というのは、気づくと私はある特定の職種の求人票に無意識に目をやっていたから。心のどこかで無理だと思って最初から諦めていた職種。
 そもそも私は何かを作り上げることに興味があって建築科という学科を選んだ。なにもないまっさらところから、とてつもなく大きなものが出来上がる不思議さに夢中になっていた。自分が創造したものが世の中に浸透していく喜び。いつか自分が関わった創造物を目にしたい。自分の成果が形として残る単純明快なこの世界に私は身を投じてみたいと思った。

 私は片っぱしから建設会社の求人を探した。女の私でもチャンスを与えてくれる会社。どんな内容の仕事でもきっと先に見える世界は同じ。
 それこそ建設会社にだって設計業務は不可欠だし、それ以外にもさまざまな仕事があるはず。壱也のような設計デザインという的を絞った夢とは違うけど、専門の知識を生かせるやりがいのある仕事には変わりない。
 でもこれがなかなか難しい。この不景気で求人が減ってきているのだ。それでもいくつかピックアップしてとにかくチャレンジしてみようと思った。
 その日以来、私はリクルートスーツを纏い何社も会社をまわった。もちろん反応の冷たい会社もあった。みんなと同じ勉強をしてきたのに女であることがこんなにも不利だなんて。それこそ悔しさで涙を滲ませることも。

 ──これが春の出来事だった。


 ◇◆◇


 そんなことを繰り返していた、ある初夏の日。
 今日は二次面接。やっとのことでこぎつけた。
 面接を受ける会社は人事の人も人当たりがよく女性の採用に比較的好意的。小さな会社だけれど逆に自分を出せる機会も多いはず。実際、その会社はたくさんの女性が活躍していて慌ただしく社内を駆け回っているような活気ある会社だった。社風も気に入った。この会社の内定がもらえたら最高なんだけど。
 二次面接に受かればあとは合否結果を待つのみ。だから今日のこの二次面接が勝負。緊張でうまく声がでないながらも、私は自分の素直な気持ちを面接官にぶつけた。自分で何かを残したい、そんな素直な気持ちを。

 面接を終え、その帰り道。精一杯やったつもりでも後悔でいっぱい。
 くたくたになって家に戻るとそのままベッドに倒れ込んだ。
 ここも落ちたら何社目になるだろう?
 落ちた会社は数知れず。しかも今回のように二次面接までこぎつけるのは初めてで、これが最後のチャンスといっても過言ではない。
 結果通知は一週間後。書面で通知があるそうだ。
 終わったことをどうこう考えても仕方ないよね。
 寝ころびながら自分にそう言い聞かせ、来るべき日を待つことにした。

 そして通知予定の一週間が過ぎた夜の私の部屋。
 壱也が内定通知のことを訊ねてきた。
「毎日郵便受けを覗いているだけど、まだなの」
 ほんと溜め息しかでない。長い一週間だったけど、いまだに結果が分からない。不採用だとしても通知を送ると人事担当の人が言っていたのに。
「どっちにしても早く通知が来ないと困るんだよね。今、他の会社、ぜんぜんあたってないから。ダメならまた最初から就活はじめないと……」
「建築会社?」
「うん。今まで頑張って勉強してきたんだし専門職に就きたいなと思って。それにやっぱり見てみたいじゃない。自分が携わった物件を」
「そうだよな。俺も自分のデザインしたものが形になるとこ見てみたい。俺の設計したものに大勢の人が関わって建物ができて、そしてそこに人が居住するなんて凄過ぎるよな」
 途端に目を輝かせ未来を想像している壱也。
 壱也はすごいな。資格も取って、就職も大手の会社に決まっているんだもん。もちろんそれは本人の努力の証。私も傍でずっとその姿を見てきたから、心からうれしい。
「でも期日が過ぎても届かないんだから電話した方がいいぞ。もしかすると手違いで届いていないのかもしれないし」
「そっか……。そういう時のために電話は入れておかないと、あとから言い訳できないよね」
 なるほど。こういう助言はすごくありがたい。頼りがいとか、頭の回転の速さとか。私なんかと比べ物にならないほど常識をもっている。
「ちゃんと電話しとけよ」
「うん」
 悔しいけど、私よりも大人だ。

 そして不安になりながら迎えた次の日。
 壱也の助言通り、電話しようと思ったけれどなかなか勇気がでない。お昼近くになり、ようやく決心した私はその前に郵便受けを見に行くことにした。
 そして覗いた瞬間、手が震えた。だってそこに……
「き、きてる……」
 まさかのまさかで、結果通知の入った封筒がそこにあった。ここに私の未来が書いてあるんだ。恐る恐る封筒を手に取り、急いで部屋に戻った。

 封筒の厚みはかなり薄く、最悪のことが頭を過る。内定をもらったことがないので、こんな薄っぺらい書類なんて不採用通知の紙切れしか思い浮かばない。
 封筒にハサミを入れ中を確認すると、やはり紙切れが一枚のみ。三つ折りにされたそれを手に取りそっと開くと──
 『採用』の文字が目に入った。
「……嘘?」
 思わず目を疑いたくなうような瞬間。こんな紙切れ一枚で私の未来が決まってしまった。後日、関係書類を送る旨のことも書いてあり、私はその内定通知を手に取りながら真っ先に壱也に電話をした。
「内定通知がきたの」
『マジで!? すげー! !よかったじゃん。おめでとう』
「うん。ありがとう」
 電話を切ったあとも信じられなくて何度も内定通知を読み返し、ようやく現実として、とらえることができるようになった。

 そして徐々に芽生えてくる社会へ踏みだす緊張と期待。そんな新たな思いも感じていた。
 いよいよかあ。怖いけど、でも大人にならなきゃ……

 その後の残り少ない学生生活は卒論にも本格的に取り組み、図書館と家の往復を繰り返した。
 壱也とのつき合いも半年近くになる。玲とは偶然に会うこともない。最後に会ったあの日に自分の携帯電話からメモリを削除してからは完全に音信不通。前よりも思い出すことが少なくなっていた。
 だんだんと薄れる玲への想い。時間が解決してくれることを実感していた。
            


 

 
 
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