13.鬼上司と過去の思い出 (032)

 

【4月】Asuka[社会人二年目]


 早いもので就職して一年がたった。
 もうすぐ私は24歳。
 そして今日は営業部だけの飲み会の日。新入社員を招待してのちょっとした歓迎会のような集まりだった。今年は二名の大卒の男の子が配属されてきた。

「真鍋課長、大丈夫ですか?」
 酔っぱらった真鍋課長は新入社員に絡んで強制退去。他のみんなは二次会へと繰り出していった。
 うちの部署は男性ばかりのため、私はたいてい営業部の二次会は遠慮している。なので当然の成り行きで、今、私は真鍋課長を自宅まで送っているところ。

「ったく……俺が場を盛り上げてやってるっていうのにこの扱いだよ。ひでえよな」
「そうですね。でもいくらなんでも今日は飲み過ぎですよ」
 ふらつく真鍋課長の身体を支えながら見知った道を歩く。というのもこれで二度目だから。真鍋課長を家まで送り届けるのは。
 一度目は去年の会社の忘年会。その時は私が絡まれ三次会まで連れまわされ、挙句、酔っぱらった真鍋課長を送る羽目に。あの時の真鍋課長は今日よりもっと酷かった。
「着きましたよ。真鍋課長」
 真鍋課長自ら鍵を開け玄関の中に入るのを見届けた。
 これでひと仕事完了……
「じゃあ私は帰ります。ちゃんと鍵を閉めて下さいね。お疲れ様でした」
 軽くお辞儀をする。だけど早々に立ち去ろうとしたその時、真鍋課長の声が聞こえた。
「片瀬、つき合え」
「はい?」
「今日はとことん俺につき合え」
 びっくりした。一瞬告られたのかと思った。“俺と”ではなくて“俺に”ということなのか。
「片瀬、お前、勘違いしたな?」
「いえ、してませんよ! それよりまだ飲むんですか?」
「当たり前だ。今から酒を買いに行くぞ!」
 命令されると断れない。一応、上司だし。


 そして近くのコンビニでお酒とおつまみを調達し終えた私は今、真鍋課長のお部屋で缶チューハイを手にしている。
「変なマネだけはしないで下さいね」
 と、まずは防御策の先手を打った。
 すると真鍋課長は私のその言葉に高々と笑い声を上げた。
「お前みたいな小娘に手なんてださねえよ」
 おまけにこの暴言。
「小娘って……、私だってもうすぐ24歳です。もう立派なオトナですから」
「俺から見たらまだまだコドモだ」
「あ、そうですよね。真鍋課長はもうすぐ35歳でしたっけ? 四捨五入すると……」
「片瀬、お前だって来年は四捨五入すると三十路だぞ」
「私はまだまだ若いです。真鍋課長の方こそ、その歳で独身貫いちゃってヤバくないですか?」
「お前こそ男いないだろ?」
「な、なんで分かるんですか!?」
 真鍋課長の言う通り、壱也と別れてからずっと彼氏はいない。それどころかデートすらしていない。今は仕事が忙しいのもあるけど、なによりその仕事が楽しいので当分、恋はお預け。
「見てりゃあ分かるよ。お前、あれだけ残業させられているのに文句ひとつ言わないからな」
 さっきまで小馬鹿にされていたのに急に上司の顔に戻り、私は不意打ちを食らわされた。そして続けざまに核心を突かれる。
「去年、空港に見送りに行った奴が昔の男だったんだろ?」

 今まで真鍋課長とはプライベートの話をほとんどしたことがなかったし、正直そこは私の弱点でもある。
 壱也を思い出すと必然的に玲の顔も浮かぶ。でも決して人に言えない恋愛はそっと自分の中にしまってあって……
「そうです。だから彼氏いない歴は一年以上ですが、それがなにか?」
 強気で返した。
「別にそんなに怒って言い返さなくてもいいだろ」
「……すみません」
 半ば私をなだめるように口調が柔らかくなり、私も少し大人げなかったかなと反省した。
「ただ俺は、片瀬はいい女なのに他の女どもみたいに、合コンだ、デートだ、ってチャラチャラしていないのが気に入ってんだ」
 そして「最初の印象とはまるで違ったな」と、煙草を咥えた。
 ふっと、煙草の匂いが香る。
 玲と同じ煙草だった。
「あ、悪い。勝手に吸って」
 私がじっと真鍋課長の咥えている煙草を見つめていたから気にしてくれたみたい。
 そういう意味じゃないんだけど。
「いえ、大丈夫です」
 まさか “昔の男”を思い出していましたなんて口が裂けても言えない。それを言ったら笑われるような気がする。いや、笑うに決まっている。
 真鍋課長は黙っていればイイ男なのになあ。なんか、もったいない。
 ただ、仕事だけはできるんだよね。
 社内でも有能と言われているし部下からの信頼も厚い。仕事に対する熱意はみんなが認めていた。
 そう言えばそんなところがどことなく玲と似ているかも。

 ……あっ。
 長い間のトリップから覚めると、なんとも言えない沈黙が訪れていることに気づいた。
「片瀬?」
「あ、は、はい。すみません」
 いけない、いけない。こんな時に、どうして玲のことを思い出すんだろう。
「チューハイ、もう一本頂きます」
「どうぞ」
「真鍋課長もどんどん飲んで下さいよ」
「お前は雰囲気ぶち壊しだな」
「え? 私、なにかしました?」
「この俺がお前を口説いているのにスルーしやがって」
「今、私のこと口説いていたんですか?」
「さっき、聞いてなかったのかよ?」
 真鍋課長は溜め息を漏らしながら灰皿に煙草を揉み消した。
「片瀬が鈍い奴とは、計算外だったな」
「は?」
 突然なにを言い出すのかと思ったら。だいたい、口説いていると言われても……雰囲気ないのはそっちでしょ! それに、あんな分かりにくいセリフは口説きのうちに入りません!

「もういいよ。今度はアルコールが入ってない時にするよ」
 そう呟いた言葉は私には届いていなくて、結局、夜中の2時近くまで飲み続けた私たちはその場でダウン。
 でもなぜか目が覚めると私だけ寝室のベッドの中にいた。あのあと真鍋課長が私をベッドまで運んでくれたらしい。

「おはようございます」
 恐る恐るリビングのドアを開けるとそこにはソファで新聞を読んでいる真鍋課長の姿があった。
 なんとなくだけど、神々しいお姿。普段は鬼の姿だけど、なんだかんだ言ってもインテリは新聞を読む姿も様になる。
「早いな。もう少し寝ていてもよかったのに」
「そんな、とんでもないです」
 酔っぱらった勢いで、真鍋課長の部屋に上がり込み、そのまま泊まってしまったけど、こうしてシラフになるとすごく、いたたまれない気持ちになる。
 なんで、こんな展開になってしまったんだろう。
「支度はできたのか? ならもう出かけるけど」
 送ってくれるのかな?
「はい。大丈夫です」
「よし、じゃあ、朝飯食いに行くぞ」
「朝飯!? いや、私、あまり食欲が……」
「いいから、つき合え」
 またこの展開だ。この人、仕事同様、プライベートでもしっかりとSなんだ。


 初めて乗る真鍋課長の車は意外にもRV車のごついやつ。こんなに車体が高い車なんて乗ったことがないのですごく乗りづらい。
「大丈夫か?」
 やっとのことで車に乗り込むと、笑いを堪えた真鍋課長がこちらを見ていた。
「しょうがないじゃないですか。こんな大きな車に乗るのは初めてなんですから」
 玲の車はニミバンだったからなとあの頃が蘇った。私の中では過去の思い出となっていたけど、それでもちょっとしたきっかけで玲を思い出してしまう。
「ファミレスでいいよな」
「はい。どこでもおつき合いします」
 そして車は近くのファミレスに入った。

 真鍋課長がモーニングセットを二人分頼んでくれた。
 食事が運ばれてくると、ガツガツと食べ始める真鍋課長。
「昨日、あれだけ飲んでいたのに朝からよくそんなに食欲ありますね」
「平日はなかなか食事にありつけないから、食べられる時に食べておかないとな」
 真鍋課長はいつも夜遅くまで残業しているし、お昼だって打ち合わせが伸びたり、次の打ち合わせの移動時間と重なったりして、ゆっくり食事ができないことが多い。
 だから、なのだそうだ。
 実際、こんな食事の仕方が正しいとは思えないけれど、独身の真鍋課長だから仕方ないのかもしれない。
 そんなことを考えながら、ぼーっとしていると急に真鍋課長が真面目な顔をして私を見た。
 あっまずい。思わず真鍋課長を見つめてしまっていた。ばつが悪くて視線を逸らすために目の前にあるベーコンエッグをフォークでつついて誤魔化した。
 すると真鍋課長が……
「片瀬、本気で仕事をやる気あるか?」
 突然、言い放った。会話の繋がりが見えない。ていうか、それ、どういう意味!?
            


 

 
 
inserted by FC2 system