13.鬼上司と過去の思い出 (033)

 

「やる気なら十分ありますよ! ちゃんと一生懸命仕事をしているじゃないですか!」
 私は普段の勤務態度のことを言われているのだと思い反論した。
「いや、そういう意味じゃなくてだな……つまり、今後のことだ」
「今後のこと? ですか?」
「来週から顧客との打ち合わせに同行させてやる」
 それって……
「本当ですか!?」
「うちの会社で手掛けたK市のショッピングモールのテナント工事の打ち合わせだ。前のテナントが撤退して、今度、新しいテナントが入ることになった」
 信じられない。これはある意味チャンスかも。
「分かりました。頑張ります」
 真鍋課長の部下になって一年。打ち合わせに同行させてもらうなんて今まで一度もなかった。だから、やっと一人前として認めてもらえたみたいでうれしかった。
 そう思ったら俄然食欲が出てきた。その後の私はモーニングセットを完食。そしてお腹も心も満足な状態でファミレスをあとにした。


 そのあと真鍋課長にマンションまで送ってもらった。
「ありがとうございました。朝ごはんまで御馳走になって」
 助手席でお礼を言う。
「迷惑かけたのは俺の方だしな。そもそも片瀬に家まで送ってもらうなんて俺はほんと情けない」
「あははっ! 別に気にしなくていいですよ。初めてじゃないんですから」
 少しシュンとなった真鍋課長は会社とはまるで違ってちょっとだけ可愛い。
 表情が柔らかく見えるのは私服のせいなのかな?
「じゃあな。来週に備えてゆっくり休めよ」
「はい。お疲れ様でした」
 そして車から降りドアを閉めようとした時、そうだ、と思い出したように真鍋課長が言った。
「片瀬、寝言言ってたぞ」
「え!? なんて言ってました?」
「『れい』とか、なんとか。よく聞き取れなかったけどな。どういう意味だ?」
 『れい』と言われて覚えがあるのはただひとつ。もしかして『玲』と言ったのかな? 可能性はなくもない。
「さあ……いったいなにを言いたかったんでしょうね。ははっ……」
 その場を笑って誤魔化し、疑いの眼差しの真鍋課長をあしらった。
「では、失礼します」
 一方的にドアを閉め会釈をする。車中の真鍋課長はじっと前を見据えたまま。そして、ようやくハンドルを握ると、片手を上げ車を発進させた。なんとも後味が悪い別れだった。


 ◇◆◇


 二日間の休みが明け、また怒濤の一週間が始まった。
 今日は火曜日。
「おい片瀬、昨日頼んだ資料はできたか?」
「はい。できています」
 月曜日の昨日、打ち合わせで使う資料の準備を真鍋課長から指示されていた。それは真鍋課長が私を打ち合わせに同行させてやると言っていた案件の資料。さっそく今日の15時から相手の会社に赴いての打ち合わせだ。
 昨日は遅くまで残業だった。目の前の真鍋課長は厳しい目つきで私の資料を確認している。
 ここでダメだしされたらどうしよう。
 チェックを受けている間、少し緊張していた。
「よし。いいだろう」
 よかったあ。
 今回の仕事はかなり急なものだった。以前に入居していたテナント会社が自己破産をしたため、急遽空きができた。そのスペースにカフェ併設のスイーツ専門店のテナントが入ることになったのだ。
 規模は小さいけれどカフェと厨房をリニューアルしなくてはならず、工期も短いためそれなりに大変な仕事になりそう。
「片瀬、ちゃんと名刺を用意しとけ」
「はい」
 真鍋課長はすでにショッピングセンターのメンテナンス部の担当の人と顔合わせはすませていた。今日はその人の手はずでテナント会社の担当者を直接訪ねることになっている。
 だけど、どうしてもひとつ気になることがあった。それはテナントに入る会社、つまりうちの会社に仕事を依頼してきた施主である会社の名前。
 まさかとは思うけど……


 14時過ぎに会社を出てテナントの会社へ赴く。
『AKホールディングス』
 外食産業界の中でもかなり知られるその会社は立派な自社ビルを持っている。大きくそびえ立つビルを目の前に言いようのない興奮と不安に襲われた。

 受付をすませると小さな会議室に案内され、そこで今日の打ち合わせの相手を待つ。
「緊張しすぎだろ」
「そんなこと言われても自分ではどうしようも──」
 そう言いかけた時、ドアが開き男の人が私達の待つ会議室に入って来た。真鍋課長はさっと席を立ち、名刺を差し出した。
「お世話になります。長谷川コーポレーションの真鍋です」
「初めまして。霧島です。こちらこそよろしくお願いします」
 ふたりが名刺交換をすませる。
「……」
「片瀬?」
「す、すみません。片瀬です。よろしくお願いします」
「よろしく」
「霧島さん、すみません。片瀬はまだ二年目の駆け出しなんですが、今回、私のサポートという形で御社の担当をさせて頂きます」
「珍しいですね。私もいろいろな業者の方と仕事をしてきましたが女性と一緒に仕事をするのは初めてです。それでは早速打ち合わせに入りますか」
「はい。……片瀬、資料を」

 そして私たち三人は席に座り直す。いよいよ打ち合わせが始まった。
「これがショッピングモールの平面図をもとに設計をしたものです。スペースは決して広いとは言えませんので──」
「──店内の設備はクラシカルなものにしたいのでそのコンセプトに合わせた照明器具のプランも出して頂きたいのですが」

 私ごときが打ち合わせに口を出せるわけもなく。ただただ、ふたりに圧倒され、委縮したまま打ち合わせ内容をメモしていた。出されたコーヒーに手をつける余裕もなく……
 ……その変わらない声が私をどんどんあの頃へと導いていく。
 どうしてこんな形で再会してしまったのだろう。仕事をしている玲を初めて見た。

 会社の名前を聞いた時、玲の勤めている会社だとすぐに気づいた。有名企業なので、間違いないと確信もしていた。
 ただ、今度オープン予定のお店はAKホールディングスが新規参入する部門であるスイーツ専門店。
 つき合っていた頃、玲から聞かされていたのは、担当しているのは数あるお店の中でもダイニングの店舗だけということだった。だから、玲が今回のテナント工事に関わるなんてあるはずないと、そう思っていたのに……

 淡々と打ち合わせを進める玲。あの頃よりも若干伸びた髪は少し雰囲気を変えていたけれど、それ以外はあの頃のまま。
 そんな中、初対面を装った私たちは視線を合わすこともなく、やがて打ち合わせも終わりに近づいた。
「それでは図面の方は修正しておきます。それから後日、照明器具のプランとお見積りを提出致しますので」
「期待しています。弊社は今回、この部門の参入に力を入れていて、今後の展開のために、この店をモデル店舗にしたいんです」
「分かりました。こちら側の質問がありましたらメールで質疑書を送らせていただきますので」
 結局、最後までなにも言えないまま打ち合わせが終わってしまった。自分の未熟さを痛烈に感じた。

 それから三人で会議室を出て、玲がエレベーターホールまで見送ってくれた。

「真鍋課長、設計もさることながら金額についてもよろしくお願いします」
「分かりました。努力致します。今日はありがとうございました」
 そう言って頭を下げる真鍋課長に続いて慌てて私も頭を下げる。
 やがてエレベーターが到着し私たちは乗り込んだ。だけどドアが閉まりかけた時
「片瀬さん!」
 閉まりかけたドアが再び開く。
 私は驚いて玲を見た。もちろん隣にいた真鍋課長も驚いている。
「真鍋課長はお忙しいでしょうから、要望の追加がありましたら片瀬さんに連絡しますので」
「はい。分かりました」
 そうしてエレベーターのドアが閉じた。

 心臓がこれでもかというくらいドキドキしていた。別れ際に私に向けられた玲の言葉は純粋に仕事だけの意味なの? どうしてわざわざあんなタイミングで言うのだろう。
 玲との再会。私を呼びとめた玲の行動。うれしいというより切なくて辛い。できれば会いたくなかった。会ってしまうとせっかく忘れかけていた感情が蘇ってきそうで……
 あの頃と同じ間違いをしてはいけない。間違いと片づけてしまう自分が悲しかったけど、とにかく繰り返してはいけないのだ。
 仕事以外では絶対に関わらない、自分にそう言い聞かせ、ビルを出た。
            


 

 
 
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