17.彼の真実 (041)

 

 翌日となった。相変わらず今日も営業部は慌ただしい。多くの人が出入りをするこのフロアは、他のフロアに比べると賑やかにも感じる。電話や内線も特に今日はひっきりなしだ。そんな中、私宛の電話が入った。
「片瀬さん、1番に小山田さんという男性からです」
 コピーを取るために席を外していた私。個人名の電話に真鍋課長をはじめ周りにいた人たちがコピー機の前の私に注目した。
 小山田さん? 少し考えた後……あっ!思い出した。
「もしもし片瀬ですが」
『明日香ちゃん、久しぶり』
「要くん? もうびっくりしたよ」
 二浪していた要くんはまだ大学四年生。私が大学を卒業して以来、ずっと会っていなかった。
『急にごめんね。明日香ちゃんの連絡先が分からなくて』
「ごめん。番号変えたの」
『勝手に変えないでよ。それに、それならそうとなんで俺に知らせてくれないんだよ』
「いろいろ忙しくてね」
 なんて言い訳してみたけど、本当は壱也と仲のいい要くんと繋がりを持つことを避けていた。  壱也の話を聞いてしまうと、この胸はどうしても切なく、そして苦しくなるに決まっている。
『それで手を尽くして調べたけど、どうしても番号が分かんなくてさ。だけど明日香ちゃんの就職先のことを思い出してそれで会社の番号を調べたんだ』
 久しぶりに聞く要くんのしゃべり方も雰囲気も当時のまま。懐かしいなあと思いながらその声を聞いていた。
「それで、どうしたの?」
『それなんだけど。今日、会えないかなと思って。今は長く話せないだろ? 俺、どっちにしても夜はバイトあるし少しの時間ですむから』
 話? なんだろう?
 不思議に思ったけど周りのみんなが聞き耳を立てていて、ゆっくり事情を訊くことができない。
「いいよ。仕事が終わってからだけど。取り敢えずあとでまた連絡するね」
 時間がなかったため要くんと電話番号だけ交換して電話を切った。と、途端に感じる一方からの視線。誰なんだ? という不機嫌な顔がそこにあった。
 愛想笑いで返す私。返す相手はもちろん真鍋課長。滅多にかかってこない私宛の電話にものすごい不信感をもっていた。私用の電話だし、なおさらバツが悪い。

「誰?」
 大内さんが小さな声で訊いてきた。
「大学時代の友達です。私、大学を卒業してから電話番号を変えちゃったんで、それで職場にかけてきたみたいなんです」
「ふーん……」
 今まで真鍋課長以外に男の影がなかった私に急に男性から電話がかかってきたので大内さんは変な勘ぐりをしている。
「ただの友達ですから」
「でもわざわざ職場にかけてくるくらいなんだし。もしかして片瀬、モテ期到来か?」
「ふざけないで下さい」
 要くんが会社の電話番号を調べてまで私に会いたいなんて、ただごとではないような気もするけど。だからと言って、大内さんが考えているようなことでもないと思う。それに電話越しの要くんの様子も深刻な感じではなさそうだった。きっと就職活動の相談かな、ぐらいにしか考えていなかった。


 定時になり、私は要くんと会うため仕事を終えた。
 会社を出て要くんの携帯に電話をすると要くんも私の会社の近くまで来てくれていて、すぐに会うことになった。
「明日香ちゃん!」
 一年四ヶ月ぶりの再会。待ち合わせ場所に先に来ていた要くんが人の行き交う歩道で右手を挙げて私の名前を呼んでくれた。
 要くんと初めて会ったのは大学祭。ライブで唄う壱也を見に行った時に受付にいた男の子。あの頃を思い出し、胸にじんわりとしたものを感じていた。
「要くん、元気だった?」
「元気も元気。明日香ちゃんはすっかりOLさんになっちゃって。ずいぶん綺麗になったんじゃない?」
「相変わらず、おしゃべりは好調みたいだね」
「いやいや、本心なんだけど」
 うん、やっぱり要くんだ。実際会っても変わっていない。少し短くなった髪型は凛々しくて唯一変わったと言えばそこぐらい。
 私たちは近くのファーストフード店へ入ることにした。
 バイトまであまり時間のない要くん。そんなに急いでなんの用なんだろう?

 私たちは飲み物だけを頼み、二階の窓際の向かい合わせの席に座った。窓の下の方に通行人が見えるこの席はなかなか見晴らしもよく、店内も学生らしき人たちで賑わっていた。
 アイスコーヒーをブラックで口にする要くんが用件を切り出す。
「昨日、壱也から電話があったんだ」
 ──壱也
 その響きに少し緊張が走った。同時に、真面目に語り出す要くんの様子に、壱也の身の上が心配になる。
「壱也は、元気そうだった?」
「あいつは元気だよ。仕事も向こうでの生活も順調そうだったよ」
「そっか。よかった」
 ひとまず安心。それにしても、空港に見送りに行った以来だから離れ離れになって一年以上も経つんだな。その別れ以来、初めて聞く壱也の近況だった。
「それでさ、用件ていうのは壱也が連絡ほしいんだって」
「どうして?」
「俺はなにも聞いていない。とにかく今日にでも壱也に電話してやってくれないか?」
「そんなに急用なのかな?」
「それも分かんないけど。でもあいつ、明日香ちゃんの番号が分かんなくて焦って泣きついてきたんだよ。とにかく会社の番号にかけることすら思いつかないほど余裕なくしてた。壱也らしくないよな」
「うん、どうしたんだろう?」
 事情がまったく分からないけど、とにかく電話をすればいいんだよね。でも、壱也が急いでいるみたいなその言い方に不安も覚える。大丈夫なのかな? 壱也。
「分かった。家に帰ったら電話してみるよ」
 要くんは番号を書いたメモを私にくれた。
「心配するなって! きっと明日香ちゃんが悲しむようなことじゃないよ」
 不安そうにメモを受け取る私を要くんは安心させようとしてくれた。
「それ、本当?」
「別に壱也になにかあったわけじゃないんだから」
 要くんにやさしくしてもらうのはこれで二回目だ。壱也との関係に悩んでいたあの頃にも要くんは私にアドバイスをくれた。自分の弱さは人に見せないくせに人の感情を敏感に感じ取ってしまう人。要くんはそういう人なんだ。

 外はさっきよりも暗くなり、店内の賑わいも増していた。
 そういえば社会人になってからファーストフード店に来ることは数えるほどだ。友達と楽しくおしゃべりをしながら過ごす時間は今はほとんどない。仕事に追われ、家と会社との往復の毎日が当たり前になっていた。
「必ず電話してやってよ」
 これからバイトだという要くんと一緒に店を出た。
「うん。分かった。今日はわざわざありがとう」
「それより送ってやれなくてごめんな」
「いいよ。そんなの。要くんもバイト頑張ってね」
 その場で要くんを見送り、私も駅までの道をゆっくりと歩き出した。
 再び登録された壱也の電話番号。時差があるからニューヨークは今頃きっと早朝のはず。家に帰ってから電話してみようとそのまま電話をバッグにしまった。夜風に当たりながら懐かしさが込み上げてきて壱也は元気でやっているという要くんの言葉を信じ、足早に家に帰った。


 家に帰り時刻を確認する。
 そろそろ起きているかな?
 朝の忙しい時間帯に電話をかけるのはどうかと思いながらも、意を決して電話をしてみた。国際電話なんて初めてだから本当に繋がるのかドキドキする。
『もしもし、明日香?』
 私が言葉を発する前に電話越しに壱也の声が聞こえてきた。
「うん」
『おい! 勝手に番号変えるなよ!』
 勢いづいて聞こえてくる不機嫌な声。挨拶なんてまるで無視のその言葉におかしくて笑ってしまう。
「同じこと要くんにも言われたよ」
『要はどうでもいいんだよ。それより元気だったか?』
「元気だよ。壱也も元気そうだね」
 久しぶりの会話はお互いの仕事の報告。社会人になった私たちは、歩んでいる道は違うけれど、それぞれ向かっている方向は同じ。同じ夢を追い求めている。壱也はニューヨークで日本レストランやアンティークなマンションのリフォームを手掛けているらしい。
「すごいね。私なんてひとりで現場をこなしたことなんてないよ」
『俺だって先輩について指示通りにやっているだけだって。まだまだ一人前にはほど遠いよ』
 そうは言うものの弾んだ声にほっとしていた。とにかく元気そうでよかった。
「急に連絡を欲しいなんて言うから。心配になっちゃったよ。急ぎの用でもあったの?」
『……うん』
 急に壱也が改まる。深刻な雰囲気になった。
 やっぱり、よくない報告でもあるのかな?
「私は大丈夫だからちゃんと言って」
 すると今度は壱也の口から信じられない人の名前が飛び出した。
『本当はこんなこと言いたくなかったんだけど。玲さん、転勤することになったんだ』
『玲』というその呼び名が、せっかく忘れかけていた私の感情にナイフのように突き刺さってきた。
 どうして今になって、玲なの?
「転勤って……どうしてそれを壱也が知ってるの?」
『玲さんが連絡くれたんだ。俺、玲さんには新しい連絡先を伝えてあったから』
 小さく絞り出すように声が聞こえた。だけど私の胸には大きく響いて、あってはならないのに心が揺さぶられる。
 私は玲を忘れたいのに、いつもなにかをきっかけに玲は私を惑わす。もともと会うことすらないから、動揺しても仕方のないことなのに『転勤』の二文字がやけに私にショックを与えた。
『明日香、聞いてる?』
 様子を窺うように壱也が訊いてくる。情けないことに、こんな時に私は動揺を隠せなかった。
「聞いてる。……けど、そんな話をされても……困るよ」
 電話の向こうの壱也は今はニューヨークにいるのに、これではまた心配をさせてしまう。
『俺だってふたりの仲を取り持つようなこと、本当はしたくなかったよ。だけど、黙っているわけにいかない。明日香にはやっぱ幸せになってもらいたいから』
「壱也……」
 その言葉だけで、涙が溢れた。今も壱也は変わらない。
『だから、ちゃんと聞いてろよ、俺の話』
「……うん」
『玲さん、離婚したんだよ』
「……え?」
 リコン?
 ちょっと待ってよ。それどういうこと? 玲はなにも言っていなかったよ。
            


 

 
 
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