第六章 ドライブデート(006)

 

 次の日の土曜日は遠野との約束の日。今日は青い空が広がる絶好の行楽日和だった。
 久しぶりの休日の外出。どんな洋服を着ていこうか、どんなヘアスタイルにしようかと散々、悩んでしまった。相手は遠野なのに、変なの。
 それでも心はこの空のように晴れ晴れとしていた。遠野が誘ってくれなかったらきっと今頃、瀬谷課長にドタキャンされたことで今日も落ち込んでいたと思う。

 予定通り私の家まで遠野が車で迎えに来てくれた。
 遠野が車を運転する姿を見るのは初めてで、緊張しながら助手席に座り、言葉を探す。

「迷わなかった?」
「少し」

 だけどぶっきらぼうな返事。少しは距離が縮まったのかなと思っていたので、返事に困った。

「……だよね。初めて来たんだもんね。この辺りは入り組んでいるから迷わない方が凄いよね」

 愛想よく答えてはみたけど、いつもの私だったら、何て返していただろう。『ごめんねぇ。ここら辺、田舎だから道も狭いし大変だったでしょう』なんて言いながら安アパートに住んでいる自分を卑下していたかな。
 瀬谷課長ですら、私のアパートの部屋に上がったのは一度だけ。古くて狭いワンルームのアパート。誰かに見つかるかもしれないリスクを犯してまで来る価値のない部屋だもんね。
 遠野もそうなのかな。他の誰かに私と一緒にいるところを見られたら困ると思っているのかな。

「おまえ、いつまであんなところに住んでんだよ?」
「……え?」

 遠野が急に変なことを言い出した。
 あんなところって……そりゃあ、遠野の家と比べたらみすぼらしいだろうけど。何もそこまで言わなくてもいいじゃない。

「だってこの近くで、最近、コンビニ強盗あっただろ?」
「何で知ってるの?」
「ニュースでやってたから。佐々木の家の近くだったなあと思って」
「そうなの。犯人は捕まったからひと安心なんだけど……」
「早いとこ引っ越した方がいいぞ。ここら辺、人通りも少ない感じだし。だからコンビニも狙われるんだよ」
「そうなの。街灯も少ないし、夜は少し怖いんだ」
「ほらみろ。それにアパートの一階だろ。ますます危ないんじゃないか?」

 遠野がさっき言っていたことは、そういう意味だったのか。まさか心配してもらえるとは思ってもみなかった。そんなこと、瀬谷課長も言ってくれなかったのに。

「会社からも近くて家賃が安いところがあればいいんだけど、なかなかないんだよね。電車通勤に便利なところを探すと、どうしてもセキュリティは二の次になっちゃう」
「狭くてもいいなら探せばもっといい部屋あるよ。瀬谷課長は何も言わないのかよ?」
「……うん。特には。それに部屋には上がらないから」
「男っ気がない部屋だと、ますます狙われるぞ」
「仕方ないじゃない。それに自分の身は自分で守るから。遠野は心配する必要ないよ」

 つい強がってしまった。
 だけど本当は時々、怖いんだ。何かあった時、私は誰を頼ればいいんだろうって。大きな虫が部屋の中に入って来ても自分で退治しなくちゃならないし、コンビニ強盗があった時だって犯人が捕まるまでずっとビクビクしていた。

「男に敵うわけないだろ。何かあったら、電話しろよ。駆けつけてやるから」
「……いいの?」
「まっ、佐々木を襲う男なんていないだろうけど。だけどほら、重いタンスを運ぶ時とか、男手が必要だろ?」
「うん……」

 言い方にいちいちトゲがあるけど、恋人でもない男にここまで言ってもらうのは正直、ぐっとくる。
 遠野って、やさしいんだなあ。いつも見ている横顔よりもちょっとだけカッコよく見えた。



「どこ行くの?」

 車が高速に入った。案内板を見た時に方角だけは分かったけど、高速で行くくらいだから、少し遠いのかな?

「ちょっとしたドライブだよ」

 口角を上げて楽しそうに答える遠野。
 今日の遠野の服はシンプルな白いポロシャツ。だけど、どこかのスポーツブランドの物なのか、ポロシャツなのに妙にオシャレで爽やかだった。
 私服姿の遠野を見たことは数える程度。だから変にそわそわする。
 よく考えたら遠野は社内でも指折りのイケメン。デートする女の子なんていくらでもいるはず。
 何で私なんて誘うんだろうと、ふと疑問が浮かんだ。

 あ! もしかして、これは罠?

 私を油断させておいて、瀬谷課長のことを訊き出そうとしている? それでそれをネタに今度は瀬谷課長を脅すつもりとか?

「何、難しい顔、してんだよ?」
「普通だけど」
「嘘つけ。勝手に妄想、膨らませてんなよ」
「膨らませてないよ!」
「不思議なんだろ? 俺が佐々木を誘ったから」
「どうして分かったの?」

 だってまさか遠野とドライブするなんて夢にも思っていなかったから。この状況をどう捉えていいのか、正直掴めない。

「深く考えんな。ただ車を出したかっただけだよ。たまにはエンジンかけてやらないと調子悪くなるから」
「ふーん」

 あんまり腑に落ちない理由だけど、まあ、いっか。よく考えたら遠野が瀬谷課長を脅すメリットはないもんね。

 車は山を一つ越え海へ出た。ICを抜けるとさらに近くなる海。遠くにサーフィンをしている人が見えた。岩の上では海釣りをしている人たちも。
 海なんていつぶりだろう。社会人になってからは初めてだ。

「降りてみるか」
「うん!」

 車を降りて二人で浜辺を歩いた。
 夏の終りの海。風は強いけど、気持ちいい。潮風が髪を巻き上げ、スカートを揺らした。それだけなのに楽しく思える。気持ちがはしゃいでしまう。だって私、普通の女の子みたいなんだもん。

「いいところだね」
「学生の頃はサーフィンしによくここに来てたんだ」
「今はやらないの?」
「会社に入ってからはほとんど来ることもなくなったな。俺も年とったってことだな」
「二十四歳なんてまだまだ若いよ」
「休みの日にサーフィンなんて、そんな気力分かねえよ。体力温存しておかないと月曜の朝、起きられねえからな」
「そうだね。確かに遠野は毎日残業ばっかりしてるもんね。でも私は逆にそれが羨ましかったな」
「どこがだよ?」
「だってみんなに期待されて思いっきり仕事してるから。優秀で誰からも信頼されているでしょ。それに比べて私なんてホッチキスと格闘の毎日」
「おもしろいな、佐々木って。でもおまえ、みんなの人気者じゃん」
「私が?」

 人気どころか、地味な立ち位置なんだけど。

「確かに佐々木の仕事は雑用が多いけど、営業部のみんなが気楽に佐々木に仕事を頼んでるだろ。佐々木は嫌な顔せず、残業だって積極的に引き受けて周りの先輩も仕事を頼みやすいって言ってたぞ」

 遠野に言われるとなんか照れる。
 でも営業部のみんながそんなふうに思っていてくれたなんて。

「ミスばっかりしているのに、少しは役に立てっているのかな?」
「俺だって仕事でミスして、今、俺だけ丸一産業に出入禁止だぜ」
「出入禁止?」
「知らなかったのかよ?」
「……うん。丸一産業と何かあったのはなんとなく聞いてはいたけど……」

 同じ部署なのにな。誰も教えてくれなかった。

「たぶん営業部の人間が俺に気を遣って話題を避けていたんだろうな。逆に他の部署の奴らの方が詳しいんじゃね?」
「そっか。そうだよね。営業部の先輩が遠野のミスを私にべらべら喋る方が変だよね」
「うちの部署、そういうところ、結束固いよな」
「うん。いい部署だよね。だけど出入禁止だなんてひどいよね。そんなに重大なミスだったの?」
「三ヶ月前に丸一産業に出した見積もりで入力もれがあって本来の金額より少ない金額になったんだ。でもあとでミスに気づいて事情を説明しても納得してくれなくてさ……」
「それで、どうなったの?」
「交渉決裂。丸一産業の常務が結局許してくれなくて別な業者に仕事を取られたよ。田中部長とも謝りに行ったけどいまだにアポすらとってもらえない」

 軽い感じで話す遠野だけど、これは相当厳しい状況。

 一度提出した見積もりの金額の変更はよほどの事情がない限り、許されない。そんなミスをおかしたら信用を失くすし、場合によっては仕事を切られてもおかしくない。
 丸一産業はそれほど大きな会社ではないけど、あそこの会長は多くの不動産を持つ資産家で、かつ人脈が多岐に渡るので手放したくない会社だ。実際、丸一産業の会長がうちの会社の製品を他社に勧めて下さったこともあった。
 さすがに取引停止までは至らなかったのが幸いだったけど、常務を怒らせて遠野だけが出入禁止だなんて。ショックなんてものじゃなかっただろう。そんな素振りちっともなかったのに。

「だから俺の当面の目標はその丸一産業の仕事を取りにいくこと」

 遠野は大きなミスをしても今も前向きに仕事に取り組んでいる。そんな遠野を見ていたら仕事に対して卑屈になっていた自分がますます情けなくなった。自分の仕事のレベルを棚に上げて、遠野を勝手にライバル視していた身の程知らずな奴だった。

「遠野も苦労していたんだね。淡々とトラブルもなく仕事をしているイメージがあったから今の話聞いてびっくりした」
「俺だって一応、いろいろ悩みを抱えて、これでも結構大変なんだぜ」
「話を聞けてよかったよ。私、まだまだ半人前だね。私も今の仕事、もっと頑張る」
「佐々木は頑張ってるだろ。もっと自信持てよ」

 不思議なことに、いつの間にか励まされている私。犬猿の仲だった私たちの溝が少しずつ埋まっていくようだった。
 そして遠野の新たな一面。それは私の知らなかった姿。陰でいろんな努力をしている。遠野だけじゃない。みんな大きな責任を背負って働いている。私はどれだけ子供じみた甘い考えだったのだろう。

「仕事の話はこれで終わり! どれそろそろ飯行くか!」

 そう言えばお腹がぺこぺこだ。

「うん! お腹すいたよー」

 私は明るく返していた。
 会社とは違う環境だからか、遠野といる今の私は自然な私。会社ではいつも身構えていたから、今はすごく楽。
 私、ちゃんと、普通の女の子だよね。


 連れて行かれたのは小さなラーメン屋さん。学生時代によく遠野が通っていたお店だということだった。

「おいしい!」
「だろ。ここの塩とんこつ味は絶品なんだ」
「一番人気なのも頷ける。とんこつラーメンて、こんなにおいしいんだね」

 ここは古くてこじんまりとしていて、失礼だけどいわゆるキタナイお店。だけど、なぜか女性客もたくさんいて人気店だった。もしかして雑誌か何かで取り上げられているのかな。

「有名なお店みたいだね?」
「そういや、最近、テレビで取り上げられてたな。“グルメレポーターが選んだ隠れた名店“みたいな感じで紹介されてたよ」
「すごいじゃない。遠野ってセンスあるね。このお店、昔から通っていたんだもんね」

 遠野の学生時代か。さぞかしモテたんだろうな、と余計なことも想像してしまった。

 そして午後は海の近くの公園のフリーマケットを見物。 芝生の上にたくさんの品物が広げられていた。

「おにーさん。カッコいいね」
「カノジョへのプレゼントにどうですか?」
「まとめて買ってくれるなら安くしますよー」

 途中、私たちに向かって話かけてきた女の子たちのグループがいた。他人から見たら私たちは恋人同士に見えるんだね。だけど遠野も私も否定することなく笑いながらやり過ごし、何も買わなかったけどそんなことも含めてワクワクした時間を過ごせた。

 青空の下で笑うのなんて久しぶりだ。生きているって実感できる。
 心の底から楽しいと思っていた。
            



[2012年11月06日]

 
 
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